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2018年3月 7日 (水)

軍部の台頭と近代天皇制

33559108 この巻では、「憲政の常道」の時代から軍部主導の「挙国一致」内閣の時代までを取り扱っている。次に続くのは近衛新体制の時代であり、結果的に国家的破滅に収束するのである。憲政の常道とは、第二次護憲運動によって成立し、五・一五事件によって崩壊した政党内閣制である。多数議席を獲得した政党が内閣を組織するという政治的慣例である。決して法的拘束力がある訳でない。裏を返せば、明治の「元勲」が鬼籍に入って藩閥・超然内閣への飽きからくる大正デモクラシーによる精華というべき慣例であったのであるが、実態は西園寺公望(唯一生き残った元老)の首班指名に基づいて天皇の大命降下という方法に拠っているのであって、元はと言えば、「大日本帝国憲法には、首相決定のルールが定められていない」(p4)のである。明治憲法は伊藤博文が中心となって井上毅らが起草したと言われているが、これがまた、出鱈目な憲法なのであった。天皇、天皇、天皇・・・と天皇親政を謳い(欽定憲法)、その大権を規定しているからである。だから、著者はエピローグで天皇制と明治憲法に逢着せざるを得なかったのである。言うまでもなく、統帥権は天皇の大権であり、内閣(行政)からは独立していたのであり、軍部は天皇の不可侵性または神聖性を盾に権力介入から伸長へと進展したのであった。これには、腐敗した政党・財閥勢力や明治以来の天皇制に洗脳された臣民意識という少なくとも40年以上にわたる歴史背景があったのである。「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)という俳句があるが(この句の戦争とは憲兵の意であるらしい)、戦争は少しづつ浸潤し、段階的に一気に進捗するのである。軍部が国家権力を掌握して侵略戦争に敗北した責任は、当然の如く、近代天皇制にもあるのであって、ここで戦争責任問題にもなるのである。戦後に成立する「日本国憲法」は、大日本帝国憲法に基づいて帝国議会で承認され、枢密院の可決後、天皇の裁可で公布されたのであるが、ここで注目したいのは、戦後憲法でも天皇制は生き続けているということである(法的継続性)。天皇制問題は、決してタブーとするのではなく、戦争反対を貫くためにはこの問題を避けて通れないのである。著者が最後の一文で、「近代天皇制が、政治統合の主体としての実質的な機能を依然として封じ込められる一方で、国民統合の象徴としては無制約に解き放たれていく、そうした時代でもあった」(p241)という指摘は、現代にも生きているのである。

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