« 『葦折れぬ』を読んで | トップページ | 歪んだ明治維新観 »

2017年12月14日 (木)

『窓を開けなくなった日本人』

32169906 いつの間にか縁側や軒先はなくなり、欄間や障子の和室は一間(ひとま)に限定されて、生活の中心ではなくなっている。この70年の住居様式は、途轍もなく変遷しているのである。その一考察に資するために、この書物を紐解いたのである。屋根は藁屋根から瓦へ、更にスレート葺や鋼板葺きとなっている。平屋から二階を増設し、アルミサッシ枠が導入されて外部と断絶することとなっている。高度経済成長期に登場したサッシ窓は、断熱効率が高く、「この六十年は、日本の住宅が『隙間風の時代』から『強制換気の時代』へと突き進んだ時代であった」(p55)のである。昔の住宅への不満から全体暖房となり、空調システムの進化によって日本人は窓を開けなくなった、というのである。モノの急増は二階・屋根裏への要求となり、車社会の進展は駐車場増設となり、最も重視されたのは屋内環境の充実と快適であり、一歩外に出ると余所行き仕様となって、家の壁は文字通り人間生活の壁となっているのである。だから、子供たちの声も聞こえず、近隣に人影がなくなってしまっているのである。著者はまた、「これまでの六十年の住宅変化を突き詰めてゆくと、最後には『ホテル』のような空間になってしまうという危惧が私には少なからずある」(p126)と批判的である(どおりで、例のアベ友である強姦魔が、ペジー社の社長が提供するホテル住まいをしていることに合点がいった次第である)。鉄筋新築校舎の高校に入学した時、ダスト・シュートが設置されていたが、すぐに使用されなくなった過去の思い出がある。その高校には、建築学科も併設されていたのは皮肉というべきである。建築家は少なくとも100年以上先をも見通して設計すべきと思うのであるが、購入者にとって家そのものは一生の買い物であるから、その考えは至当と思われるのである。この頃では家屋の寿命は60年(実際には30年余りで取り壊されている)と流布されている。新聞には建築関係のチラシがよく折り込まれているのであるが、実際には、建築業界も玉石混淆という訳である。ゆめゆめ警戒しなければならない。尤も、転居約17回の「引っ越し貧乏」のために、持ち家には程届かない自分とっては、無関係なことなのではあるが・・・(笑)。

| |

« 『葦折れぬ』を読んで | トップページ | 歪んだ明治維新観 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『窓を開けなくなった日本人』:

« 『葦折れぬ』を読んで | トップページ | 歪んだ明治維新観 »