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2017年12月31日 (日)

歪んだ明治維新観

2017122913140000 静かな年末である。目覚めてから朝食をとり、シリーズ「日本近代の歴史」(吉川弘文館)を読み耽る。漸く、第二巻目である。遅読のために、論点が見えにくくなる傾向があるが、それはいよいよ痴呆になりつつある自分の所為である。
 第一巻は、「王政復古」後の国政改革を記述する内容であるが、惜しむらくは、維新に至る経緯については断念されている。「あとがき」にもあるように、著者の専門分野に絞られたのは致し方ない。
 33496056王政復古の大号令は、天皇の権威を利用した、公家や薩長等の武力討幕派による「クーデター」(内乱的な権力闘争)であるが、この事実はあまり周知されていない。立憲政体となっていない明治維新は、実際のところ反動政権だったのである。しかしながら、だからといって、革命を否定するものではないが、教科書的な理解や歴史家の中にも、その事実を根底的に認識している者が少ないのである。だから、現代においても、明治維新をよきものとして理解しているばかりでなく、高く評価しているのである。第一巻の著者も例外ではないと思われる。反抗する者へのジェノサイド(鳥羽伏見の戦い~函館戦争、西南戦争)は徹底していたのである。そもそも王政復古の御前会議すら騙し討ちだったのである。長年による幕藩体制にあって、幕府側は安穏としていたのである。以上のような認識なくして明治維新の本質を正確に捉えることはできないであろう。第一巻の中で、特に目を引いたのは、「地租改正は、旧幕府系の開明官僚が構想し、立法化したのである」(p227)という一文であった。更に、「わが国」「わが国制」「聡明なわが国民」「慧眼の主・・・岩倉具視」などの表現は、歴史研究者として不用意であることを指摘しておかなければならない。これは前述のような明治維新観に基づくと思われるのである。それはまた、「維新」という言葉をも歪めることになっているのである(アベの幇間となって、憲法改悪をたくらむ「維新の党」などと名称する連中についても言わずもがなである)。

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