非国民上等!
「暗黒の時代」が到来したようである。社会主義の「冬の時代」を髣髴させる事態である。時代は核とミサイルの軍事優先となり、「共謀罪」法案のように、人々は国民主権を放棄したかのようである。人々はその権利を放擲し、天皇が日本国憲法を健気に遵守するという転倒している有様である。世界の為政者は、その権力を行使して狂奔している。日本国も例外ではない。支持率三割弱の、最も無恥で無知の政治屋が放縦に居直って居座り続けている。背任と汚職にまみれていながら、国民的関心と追及もなく、居丈だけに振る舞っている。そして重要なことは、都市の住民が中心となってこれに追随していることである。これなくして彼らの傲慢は決して成立しないのである。かの為政者どもは都市住民が率先して選択しているのである。決して(一部の)地方ではないのである。都市部の政治屋が三権と社会的地位を占有しているのである。これが腐臭を放っていることをなぜ認めないのか。例証はいくらでもある。テレビニュースや番組を賑わしているのは、ほぼ殆ど都市出身の住民なのであり、都市の大学は都会人ばかりになって社会的地位を獲得するために奔走しているのである。都市の毒害は地方にまで波及して、この地方の知事(東京都出身で元横浜副市長)は中央政治に従順で、地方の遺産を浪費しているだけであるが、何と県民の5割が支持しているという異常事態である。『村に火をつけ、白痴になれ』ではなく、『街(都市)に火をつけ、白痴になれ』なのである。つくづく思うに、かの70年闘争の課題は何も解決されず、その遺産は活用されていない。運動を担った人々は年波と諦念の中で、歴史の藻屑に沈下しようとしているのである。大逆事件以降の社会主義運動でもそうだったのである。歴史は決して嘘は吐かない。伊藤野枝は大正期のアナーキストである。しかしながら、ものの見事に社会から制裁を受け、最期は大杉栄と共に、関東大震災の最中に、簀巻きにされて井戸の中に放擲され惨殺されたそうである。寺院に嫌われてお墓はただの自然石のみなのである。常識的に考えれば悲惨の極みであるが、野枝の訴えの方が一等優れている。貧乏上等、わがまま上等。すべての常識を覆せ。「貧乏に徹し、わがままに生きろ。それが伊藤家(野枝)家訓である」(p7、52)。自分の生死は自分で決めろ(p44)。「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」(p114)。「この腐った社会に、怒りの火の玉を投げつけろ!」(p133)。どうせ希望がないならば、なんでも好き勝手にやってやる。絞首台にのぼらされても、かまうものか。非国民上等。「国家の害毒は、もうバラまかれている。そう、友だちは非国民」(p162)なのである。この心意気こそ、今の時代の人びとが学ぶべきことなのである。ちっとも「暗黒時代」でも「冬の時代」でもないのである(これとこれとこれ参照)。
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