« 汚い奴等 | トップページ | 司馬遼太郎の朝鮮観 »

2017年4月 4日 (火)

闇市派の農業論

33568994 野坂昭如は、2015年の年末に黄泉に旅立っている。この刊本は、焼け跡闇市派として、農業に関して、(特に都市生活者の)日本人に対する、歯に衣を着せぬ警世書である。アベ・日本政府が掲げたTPP法が、トランプ米国大統領の出現によってあえなく潰(つい)えたのだが、今後は日米による二国間貿易協定(FTA)へと推移してゆくことなるだろうが、これは日本の農業の崩壊に直結する問題である。野坂の論旨は、タイトルにあるように極めて明快である。農業に関しては、この本の中で、興味があったのは三点ある。一つは、彼が都市生活者の思い上がりを指弾していることである(p105~118)。都市生活者には「農民を切り捨てる考え方がひそんで」おり、「今の農村、農民のおかれている、いわば八方ふさがりの状態は、都市にすべての原因がある」として、一度飢えてみるしかない(p154)と直言している。現代の市場主義経済、もしくは新自由主義経済とグローバル化の淵源は前川レポートである(これも参照)。そして第二に、この前川レポートを指針とする中曽根内閣は、土光敏夫を財界から引っ張り出して第二臨調会長に据える。その結果が、民営化と規制緩和に邁進する、その「土光が始めた悪魔の原発事業」である。その国策に従って、東芝は非情な経営危機に至っているであるが、この野坂の刊本には、土光との喧嘩対談が掲載されている(p56~80)。1975年の頃だから、土光敏夫は経団連会長(=財界総理)として辣腕を振るい始めた時期である。ところが、この対談を熟読すると、農業に対する土光の無知が暴露されているのである。彼は肥料仲買商の次男として岡山市の近郊に誕生して、都会に出て技術者として出世街道をひた走るが、「中学までは親父を手伝って百姓やっていた」というが、これは少し怪しい。嘘が混在しているのは権力者のやり口である。土光の発言の中で、「農村問題としての面から見ると、いまはもう地域社会というものが破滅してしまっている」(p58)という一点のみ首肯するのであるが、その問題を何ら追及しようとしてはいない。解決策として、効率的な農村ができるように農業基盤の整備をして、その地域に工場などをミックスさせるという、ありきたりの提唱をするだけである。何のことはない、形を変えた日本列島改造論である。「めざしの土光」、「無私の土光」と称される人でも、言い訳と開き直り、自負と自画自賛で対談は終了している。第三に、何と野坂はこの川中島平を訪問して、講演と、農業婦人三人との懇談をしているのである(p119~130)。

|

« 汚い奴等 | トップページ | 司馬遼太郎の朝鮮観 »

信州学事始」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

農業・農事」カテゴリの記事

食と農業」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/527456/70143540

この記事へのトラックバック一覧です: 闇市派の農業論:

« 汚い奴等 | トップページ | 司馬遼太郎の朝鮮観 »