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2017年1月15日 (日)

グルメ時代の危機

150x150_square_587797081 グルメ記事、グルメ番組・ブログが花盛りである。こんな時代になることは、端(はな)から分かっていたが、決して差別感情からではないが、女性の地位向上が寄与していると思う。女性は適者生存のために食への関心が強い。男性は馬鹿だから、空理空論を弄ぶ傾向がある。そして、女性の習性から男性は取捨選択され、結婚できない男が増える訳である。私は米やら野菜やらを自作しているが、卑近の女性から、「御飯が好き」という言葉を聞いた試しがない。パンやパスタが好きというのである。道理でこんな田舎でもパン屋が多い筈である。この根本的な差異は何なのだろうか、と考えたこともあるのだが、未だに分からない。「柔らかくて美味しい」と言うが、固いのは美味しくないのだろうか。スーパーに立ち寄ると、固い食材は殆どなく、あってもデンと商品棚に干からびて残っているのである。冷凍・冷蔵技術が発達したからかも知れない。受験生の時には、東京で生活して色々食したのであるが、旨いと思ったことは一度もない(大抵は塩分&カロリー超過で彩り悪い)。余りにも不味いので二度食い(他の食堂で再び口直しすること)したこともある。酷い所では食い逃げを警戒され、銭湯では無賃入浴の嫌疑をかけられ、やむなく二度支払ったこともある。一刻も早く東京を離れることを至上命題にしたほろ苦い経験がある。だから、すぐさま離京してしまい、大学生協などで胃袋を満たす日々が続くこととなった次第である。グルメの番組を見ていると、行列しているのが旨い店、或いは、予約が困難な店が旨いという評価があるというが、どうかしている、としか思えない。喰うことは大事なことではあるが、喰うことで慢心することは大事なことではないのである。むしろ軽蔑すべき事柄である。東京の番組ではマグロが重宝されているが(大阪では番組にならず、メバチ中心)、マグロは沖縄で食するのが良い。牧志市場の裏通りにはマグロ専門店が並んでいる。マグロの産卵地であり、冷凍ではなく、その日の新鮮なうちに山盛りで、旨い泡盛を傾けながら、存分に味わうことができるのであるが、そのことを知っているヤマトンチューは寡少である。宮本常一は父親から出郷の教えを授けられたという。曰く、「金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ」と。関西では、行列は「金龍ラーメン」か「りくろーおじさん」位しか目にしたことがない。行列とあれば他の店に馳せ参じるのが普通である(帯広でもそうだった)。平均値が高いのである。第二に、東京の人間は肉食動物である。例えは豚には悪いが、豚のような顔をしている人間が食しているのをよく目にする。共食いである。最後に、殆どの人は野菜の旨みを知らない。いくら野菜が高いとはいえ、野菜を飾り物して提供しているレストランが高級と思われているのが分からない。バランスを考えてほしい。肉を食するために野菜があるのではなく、デザートも果物への配慮が足りない。アボガト?アホか、と思ってしまうのである。季節感を演出せんかい(完全に関西弁になっていますな。笑)、と見聞していて冷笑してしまうのが屡々である。やはり、食道楽の関西の方がレベルが高い。だから、在住の頃は、休みとなると懐に数万の身銭を入れて、外食に繰り出したものである(だから、未だに赤貧に喘いでいる。泣)。当然、二度食いすることはなくなった。政治風土としては三流であるが、やはり歴史と文化の上では関西は一流なのである(大正時代まで、大阪は日本一の都市だったことを知っている日本人はいまい。大阪の人すら知らない)。事実、近郊の農漁業の発達と市場規模のレベルでは、築地市場や大田市場では及ばないのである。春菊(関西では菊菜=食べる風邪薬)ひとつとっても、その差異は歴然としているのである。ちなみに、関西では、客が黙って清算したら、その店の味は劣悪である。ホントに旨かったら、関西人は精算時に必ず「旨かったわ。また来るわ」と付言するのが礼儀であり、実際、常連さんになるのである。それ程関西では、店舗同士の競争と栄枯盛衰は激しいのである。

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