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2016年9月

2016年9月16日 (金)

ボケている

2016091511580004 すっかり水を落とし(というか、用水路には水はなし)、収穫も目前である。畦草を踏んで行くと、イナゴがピョンピョンと跳ねて逃げ隠れする。稲の葉はかなり喰われている。遠い昔、イナゴの佃煮を口にしたことがあるが、今では細々と信州土産の一つとして販売されているに過ぎない(というか、売れるのかしら)。昆虫食は嫌われていますが、生命をいただくという意味では、甲殻類や生魚を食するのと大略同じである。ただ、見た目が異様なため、ゲテモノ食いとされているにすぎない。戦前の食糧不足の時代には、当たり前だったのである。味はむしろ格別なのであって、ちなみに私は、甲殻類のカニ・エビとマグロは自分からは食べない。高価なものが必ずしも旨いという訳ではないのである。野菜や果物にしても、消費者はその本来の味が分かっていないし、その土地の旬のものを知らない。大阪在住の頃は、リンゴを味わったことがない。「ボケている」からである。
Photo 手元に、NHKの大学講座『上方芸能 笑いの放送史』が残っている。1994年の放送であり、発売のテキストである(画像右)。上方の芸能史ではなく、漫才に限られた放送史である。芸能業界では中央集権が進み、ジャニーズ事務所と吉本興業が席巻している。それは同時に、それ以外の興行主が排斥されて、似たような芸人とタレントばかりで、さも偉そうにしているだけで、本当の笑いとは乖離している。何も面白みが感じられない。何故たけしを面白がって起用するのか皆目見当がつかない。否、分かり切っている。よしもと漫才芸人はオール阪神・巨人で終わったのであり、ダウンタウン、爆笑問題、しちゅーの笑いは毫も笑えない。何故面白くないかは鮮明である。面白くないから面白くないのである。しょーもないからである。彼らは業界のセンターになって笑いの牙を捥がれているのである。そのためには、業界のルールを守らなければならないのであり、笑いの対象を自分ではなく、弱い人(若い女性と子供)に向けている。もう一つ、吉本興業(に限った事ではないが)は必ず時代に竿をさしてゆく。上記の本(の第四回)にも叙述されているように、お笑い慰問団「わらわし隊」によって、積極的に国策に協力したのである。「漫才が大阪で、世間一般から娯楽としての地位を認められた最初のけっかけは、昭和七年(ママ)の満州事件である」(p49)と。ラジオと慰問団という戦略によって吉本は興隆し、上方落語との怨讐の対立に決着が付いたのであるが、それ以降、上方落語は低迷し、独自の寄席を持てたのは、何と60年以上の経緯を要したのである。それとて、吉本興業の息がかかっているのである。大阪見物には、天満宮参拝(息子の七五三はここでした)から繁昌亭へ、更に天神橋商店街のそぞろ歩きコース、できれば彦八まつり(一年に一回)に足を運ぶと、直に上方落語を堪能できるというものだが、多くの人には知られていない。大阪の笑いは、あくまでも、「泣き笑い」であり、「ぼやき」の笑いである。さて、テレビ番組に出てくる人気お笑い芸人は、どうだろうか。まさしく、右翼的時代風潮を反映している(ボケている)のであって、だから、少しも笑えないのである。

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2016年9月 9日 (金)

見極めの困難

2016090907110001 今朝、田んぼの様子を見ようと自転車で向かい、眺めると、大分、畦に雑草が繁茂している。水加減やキラキラテープの補正や雑草を少々刈り取っていると、隣の田んぼのおやじが遅れてきて、二連の稲刈り機を始動していた。挨拶をして眺めていると、穂一本残さないように見事に稲刈りをしていた。おやじは上農の農家である。雑草など、どこを見ても蔓延っていない。もち米は早々刈り取ってある。刈り取りしているのはうるち米である。嫁さんは朝の家事なのか、いない。黙々と稲刈り機を操っている。おやじの田植えは確か6月5日だから、今朝で96日目の稲刈りである。品種はコシヒカリで間違いない。種蒔きから田植えまでは大凡一か月位であるから、種蒔き後、126日程での収穫である。少々早いんでないかえ、と思うが、農協や県の農政部のお触れでは、夏の高温障害のために成長は早く、胴割れ米や品質劣化防止のために、稲刈り時期の前倒しを奨励している。隣のおやじは専門家であるからして、稲の具合の観察力に間違いはないから、他品種ということもあって、わが家の稲刈りは10日ほどしてからの20日以降ではないかと予測している。もう一つの目安は、出穂後から50日までの胴割れ米と青米防止という基準であるが、出穂は、教科書的には8割と記述されているが、農協の講座によれば、5割の出穂ということである。記録によれば、我が家の出穂は8月17日(5割)であるから、今日で出穂後23日であり、結局、9月26日から10月6日での稲刈りとならなければならないということで納得した今朝である。それにしても、隣のおやじの稲刈りは早いと言わなければならないが、出穂後40日と考えるならば、あるいは、稲架かけ米であることと高温障害ということを考慮して、35日と考えるならば、おやじの稲刈りは適期なのかもしれない。いづれにしても、うちは9月最終週となることは認められたのである。

 虫の音や 老ひて机に 積読す

 稲刈り適期の見極めの困難と比べれば、この国の首相と東京都知事のやることなすこと、すべて、予想通りであり、見極めの容易な政治屋である。この国で生きているのが嫌になるほどである。しかしながら、人は決して国を憂いてはならないのである。

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2016年9月 5日 (月)

稲も実れば穂首を垂れる

2016090118060002 稲も実れば穂首を垂れる。しかしながら、この国の宰相や為政者は決して頭を垂れない。むしろ、天変地異や災害、スポーツや築地移転などの栄華と混乱に乗じて権力を振り回すことで人々を屈従させるのがお得意なのであって、決して人々の安寧を創り出すことはない。大衆を操作し敵を創り出すことである。隷従しない者を冷遇し、大衆に軽蔑させることである。この国の知識階層がいとも簡単に転向するのは歴史を振り返れば分かり切ったことであり、歴史学者の殆どは歴史を捻じ曲げている。鯛も人も組織も頭から腐るのである。熊本地震災害も岩手・北海道の台風災害には、この国は何の援助もしようとしない。辺野古基地建設には、国は警察と自衛隊を動員して、沖縄県民の反対の意思が鮮明であるにも関わらず、強行しているのである。文字通りの圧殺である。これで、東京はオリンピックだ、築地移転だと大騒ぎしているのである。結果を出すのが政治家の仕事である筈であるが、何の成果もなく緩慢に時だけが経過してゆく。相模原事件の犯人と同一思想の人間が随所に徘徊している状況である。それが都会人の姿である(都会は地獄である)。それをひとえに体現しているのがこの国の首相であり、東京都知事なのである。その一方で、左翼・リベラリストの側でも、人々を軽蔑して、己の間違った考えで自己満足(逃避)の悦に浸っているのである。戦前、戦争反対を唱えた者たちが壮烈な死を強制された歴史を忘れてはならない(これも参照)。戦争反対は口先だけでできるのではないのである。地震などの大災害と壮大な原発被害、戦争と収奪という薄氷の上に成立しているのが日本国なのである。

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