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2016年7月13日 (水)

中沢正弘のこと

33403585 今月初めに逝去された中沢正弘氏を振り返るために図書館を訪ねると、年度初めに、こんな作品を著していたのに驚いて借用した。恐らく、集大成の絶筆であろう。彼の小説には風という言葉が付き纏っている。タイトルでは『風に訊く日々』がそれであるが、文章の中でも度々見かけることが多い。そしてこの三部作の中では、「人間があれこれいると、いろいろな風が吹く」(p124)とある。無論、自然にある風のことではない。それは押して知るべし、ということだろうが、ここで彼のために来歴を記してみたい。前書き推薦文を書いた日本農民文学会会長の野中進と、後記の解説をした崎村裕に詳しいが、もう一度、概略を明らかにすることとする。中沢正弘(1933~2016)は、農村不況が吹き荒れる1933年(昭和8年)に出生し、この辺りの農民の子弟が通う更級農学校(現・更級農業高校)を卒業し、果樹栽培を中心とする典型的な専業農家を営みながら、二十歳前後から小説を執筆し始め、阿部知二との知遇を経て地道な著作活動を続けたのである。「新しき村」に関わった父親の薫陶を受けて、農業経営の傍ら、農民と農村の有り様を基底にしながら、それを作品化する文字通りの農民文学であったと言えるだろう。しかしながら、農民と農業を取り巻く環境はすさまじく過酷である。世界的な経済成長神話がある一方、国家的規模の破綻が具現化し始めて、人類存亡の危機が到来しているのである。離農・離村の過疎化に伴って「限界集落」という言葉が生まれている。これは村落共同体だけのことでなく、都市部の中にも現出しているのである。国家なぞ消滅しても構わないが、人は人としてやめる訳にはいかない。生きてゆけないからである。この本では、中沢は後書きを付け足しているのだが、それには「健気(けなげ)に生きる山村の人たち」(p169)とある。文明の衰亡と萌芽にある今の時代の有り様を凝望する文学者として、彼の実直な眼差しが光っている。中沢はまた、「もう血縁頼みの時代じゃないわなあ」と一人の登場人物に語らせている(p63)。こういうことも含めて、いろいろと聞きたかったこともあったが、新聞のおくやみ欄を見ながら、彼の訃報を悼む者である。

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