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2016年7月

2016年7月31日 (日)

逝去のお知らせ

2016072318470000 大分、稲は成長した。聞くところによれば、・・・。

 お知らせ(息子より)

 上記のブログ更新中、父は脳梗塞のために卒倒致しました。家族が献身的に看病を致しましたが、発見が遅く、翌日早朝に、黄泉に旅立ち致しましたことをご報告いたします。皆様の、これまでのブログ閲覧を心底感謝申し上げます。なお、葬儀は身内によって執り行うため、多大なる弔辞・弔問をご辞退申し上げます。生前、父は東京都知事に○池になることを予想しておりましたが、金目で核武装論者で自民党右翼が都知事になることによって、大阪の二の舞にて日本は終了すると申しておりました。相模原障がい者殺傷事件の容疑者が宛てた衆院議長への手紙では、「安倍晋三様」と二度にわたって敬称しておりましたように、容疑者と同類の政治家が跋扈しております。今や、戦争の裏面である差別排外主義とヘイトクライムのイデオロギーは、日常茶飯事の時代となっております。父がこんな時代風潮を前にして逝去したことは、ある意味では、幸せであったと思いますが、残された者たちにとっては阿鼻叫喚の時代を予兆されるものでもあります。皆様方におきましては、くれぐれもご自愛のほどをお願い申し上げて、ご挨拶といたします。なお、今後の更新はなされませんが、もしあるようでしたら、黄泉の国よりの、父の怒りの故として、お許しください。

 

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2016年7月22日 (金)

昼寝の妄想

32468397 大橋巨泉の父親が、兵隊の死を犬死だと暴露したことについて(私の母も、こんな山国まで爆撃に来るようになって日本も終わりだな、と常識的に思ったそうである)、軍国少年であった巨泉は、親父に殺意を抱いたとのことである。しかしながら、戦後、彼は父親の言う通りであったと悔悛したということである。翻って、ポケモンGO(ゲーム)は、所詮人生の無駄遣いであると言ったらどうだろうか。国会議員の三分の二を政権与党に与えてしまった以上(ポケモンGO状態)、日本国民は何をされても仕方がないで済まされるわけである。沖縄県では、予想通り高江のヘリパッド建設が強行されて県民を恫喝・いじめをしているのであるが、中央のニュースはポケモンGOである。沖縄は日本国から独立することを視野に入れる段階となったのではないか(長野県も与党議員を叩き出した以上、同じ目に遭うことは避けられない)。首都圏と西日本の日本国からの独立、何という夢のあることだろう。沖縄と、北陸を除く中部日本と、関東圏を除く東日本、北海道は、即刻日本国から独立するべきである。明治維新を否定する平成革命の到来である。これで民主日本の到来である。東京や大阪などを相手にしない、対米独立の新生日本の登場である。そして、北から南から偽の日本国を攻め立てて衰亡させるのである。原発と米軍基地は東京都と山口県に集中させよ。当然の如く、偽の日本国に異議申し立てをする擬制日本からの移住を歓迎する。擬制日本国への輸出入は禁ずる。ポケモンGOを認めず、働くこと、生きんとする人間が主役の世界にするのである。当然、右翼的に偏向したNHKは民放にする。日本国憲法は頂くが、安保法案はくれてやる。但し、皇居は天皇制と共に京都にお返しする。真正日本からは右翼やカルト集団は灼熱の彼の国へ。なんと夢のある構想だろうか。これで新成日本は安泰な生活を営むことができる。と、ここでうつらうつらに覚醒し始めてしまうと、夏の午後の白昼夢であった現実を知ってしまうのであった・・・。

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2016年7月13日 (水)

中沢正弘のこと

33403585 今月初めに逝去された中沢正弘氏を振り返るために図書館を訪ねると、年度初めに、こんな作品を著していたのに驚いて借用した。恐らく、集大成の絶筆であろう。彼の小説には風という言葉が付き纏っている。タイトルでは『風に訊く日々』がそれであるが、文章の中でも度々見かけることが多い。そしてこの三部作の中では、「人間があれこれいると、いろいろな風が吹く」(p124)とある。無論、自然にある風のことではない。それは押して知るべし、ということだろうが、ここで彼のために来歴を記してみたい。前書き推薦文を書いた日本農民文学会会長の野中進と、後記の解説をした崎村裕に詳しいが、もう一度、概略を明らかにすることとする。中沢正弘(1933~2016)は、農村不況が吹き荒れる1933年(昭和8年)に出生し、この辺りの農民の子弟が通う更級農学校(現・更級農業高校)を卒業し、果樹栽培を中心とする典型的な専業農家を営みながら、二十歳前後から小説を執筆し始め、阿部知二との知遇を経て地道な著作活動を続けたのである。「新しき村」に関わった父親の薫陶を受けて、農業経営の傍ら、農民と農村の有り様を基底にしながら、それを作品化する文字通りの農民文学であったと言えるだろう。しかしながら、農民と農業を取り巻く環境はすさまじく過酷である。世界的な経済成長神話がある一方、国家的規模の破綻が具現化し始めて、人類存亡の危機が到来しているのである。離農・離村の過疎化に伴って「限界集落」という言葉が生まれている。これは村落共同体だけのことでなく、都市部の中にも現出しているのである。国家なぞ消滅しても構わないが、人は人としてやめる訳にはいかない。生きてゆけないからである。この本では、中沢は後書きを付け足しているのだが、それには「健気(けなげ)に生きる山村の人たち」(p169)とある。文明の衰亡と萌芽にある今の時代の有り様を凝望する文学者として、彼の実直な眼差しが光っている。中沢はまた、「もう血縁頼みの時代じゃないわなあ」と一人の登場人物に語らせている(p63)。こういうことも含めて、いろいろと聞きたかったこともあったが、新聞のおくやみ欄を見ながら、彼の訃報を悼む者である。

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2016年7月 3日 (日)

おいこら自公

2016070211440000 分けつ期に入り、加速度的に稲は大きく成長してゆく。しかしながら、日本は崩壊に向かって収斂して行くばかりである。参院選挙は改憲勢力に有利という報道がなされているが、ここが岐路である。後世になって、人々は気が付くこととなるだろう。一人区である長野選挙区は、政権党には重点地区らしくて、時の首相が3度も訪問して、「落下傘候補」と野党統一候補を非難しているが、そういう自分たちが都会育ちの二世・三世議員の落下傘候補なのである。そればかりか、日本人の生命と財産を守ったこともなければ、政党助成金や年金や政治資金など税金を詐取するトンデモナイ勢力なのであるが、石も卵も靴も投げつけることをしない日本人であれば、また、投票を棄権する日本人であれば、奴らのしたい放題なのである。もう日本は戦争国家化の完成期になっているのであり、いつでも戦争ができる状態なのであり、改憲は目前である。いな、改憲など必要がないと言えるだろう。だから、アベコベミクス(経済)一本で選挙戦に打って出ているのである。結果、悲劇ではなく、喜劇が演じられようとしているのである。

 家族が見ていたクイズ番組で、やはりお笑い芸人司会者が、ひな壇芸人一堂に向かって、「答えられなければ地方に飛ばすぞ」という差別言辞で笑いを取っているのを一瞥した。地方は怒らなければならない。政権党に投票などしている場合ではないのである。ましてや、TPPには翻意して地方と農業を全滅させようとしているのである。地方は「都市に奉仕する肥し」になっているのである(宮本常一)。「お維こ等自公」と怒りの声を挙げなければならない。棄権は自らの権利を放棄するばかりでなく、年金・拉致・財政赤字・社会福祉・経済格差などの問題について、何一つ解決できない政権党への信認を意味するのであって、これこそ奴らの望むところなのである。換言すれば、嘘と詭弁と虚偽に満ちた政権党は、それ程、どん詰まりの危機に陥っているのである。

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