黒岩六郎のこと
何となく手にした本である。実は、この黒岩六郎という人物の名前は、時々、父母の会話の中で側聞したことがある。経歴を概略すると、1889年(明治32年)に貧農の子として共和村(長野市篠ノ井・共和)岡田に生まれ、12才で小僧として奉公(作男)に出て(これが当たり前の時代だったのである。人々は殆ど米を買えないほどで、その日暮らしの生活だったのである)、その後、化学肥料と雑穀を扱う商店を一家で経営し、更に、精米所を開店する。商いは順調に繁盛したのだが、昭和恐慌によって黒岩商店は借金を残して倒産するのであるが、精米所は残して返済に尽力し、銀行筋から預金・借財整理の仕事も加わって、無事に返済する。次に、株・証券の斡旋売買も始めて、不動産業に転じ、会社経営面でも戦争協力をして敗戦を迎える。戦後は社会党支部を結成し、県議を務め、民選の林虎雄知事を支えて県政に貢献している。県議は二期で引退し、再び不動産業に専念した後、家業を子孫に譲り、晩年は、太陽光エネルギーの推進と軍備全廃を訴える活動をしたのである。特に前者は、第四次中東戦争を始まりとして、1973年のオイルショックを契機に、ライフワークとして全精力を傾注し、十年間に渡って、時の首相を始め国会議員全員、企業やマスコミ、更に大使館までに、私財を投じて毎月千五百部という小冊子を送付し続けたのである。大変な精力を持ち合わせる人物である。この著作の後半部に彼の成果が記述されている。終生、社会党員であり、面目躍如の信念を貫いた人である。
彼の生涯も多少興味があったのであるが、むしろ、私的な関心は、彼がその時代をどう見ていたのかということである。①明治政府による殖産興業・富国強兵政策は、皇民化教育と併せて、日露戦争後には、「満州大陸へ侵略の足場を着々とつくっていった時代」(p42)である。また、「国中の人々の生活は貧しかったが、青年や幼い者達までが志は高かった」(同)時代である。②敗戦まで、「地主層は日本の封建的支配を担う大勢力であり、農地と農民を、生産物の半分も年貢として取立てたばかりか、政治、行政、文化の面でも広い意味の支配をつづけていた」(p77)。③政党政治の腐敗の中で、「軍部が政権の中枢を握り」、農村不況の抜け出し口として、青年層に「満蒙へという言葉が流行り始めた」(p94)のである。④1930年(昭和5年)の農村恐慌は養蚕、製糸県である長野県を直撃した(p118)。繭価暴落、銀行倒産、教員給与不払い、欠食児童、娘の身売りなど農民・庶民の生活が成立しない状態となる。その中で日本は大規模な侵略戦争に突入してゆくのである。⑤彼は、戦後直ちに軍需工場を整理し、社会党員として知事選に奔走するのであるが、この時期は、「何としても、保守、官僚政治を倒さねばならないという熱気が、各地で溢れていた時代である」(p201)⑥戦後の「転換がはじまったのは、二十六年(ママ)の朝鮮戦争が終る頃である。戦前からの個人の意識では、三十年頃までも、物の考え方や風習なども(いい面でも、悪い面でも)ずっと残っていたのである」(p217)(経済成長後も、何も変わっていないとも言えるだろう)。
以上が彼の時代批評である。彼は尋常小学校のみの修了で、様々な経験に加えて、知識は、専ら、新聞を眼光紙背に徹することによって獲得したものである(p137)。積極的に戦争に加担した訳ではない(消極的な協力)ことから(p187~p189)、戦後、順調に革新側として活躍できた素地があったのだろう。知識人によくあった転向がなかったのではないか(これも参照)。時代への洞察力があったと思われる(太陽光エネルギーの利用の主唱など)。平和主義者としての一代記となっている。古老曰く、「戦争を永久に放棄する平和憲法は、おしつけられたり、作文で出来たものはない筈である。命も財産も、肉親や恋人、多くのものを失ってさらに原爆を二度も身体で知った日本国民の尊い経験によって生まれたものである。最高の道徳であり、人類の至上の希望である。・・・軍備全廃は全地球に住む人類に対するわが国の責任であり、使命ではないだろうか。世界各国に平和憲法実践者として提唱出来る資格のある、わが国民だけと自負して行動をつづけていきたいのである」(p513、p333)と。翻って、現今の日本はどうなのだろうか。「積極的平和主義」を標榜して、有事を前提に改憲を企図し、嘘と出鱈目で糊塗しながら右翼宰相が日本を破壊しているのである。行き先は袋小路(デッドロック)である。必ずや、墓場の中で古老は憤怒の叫びを挙げ続けていることだろう。
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