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2016年4月 4日 (月)

見たいもの、見たくないもの

33406443 普通の人は、テレビや雑誌などで広告を頻繁に目にするのであるが、肝心な広告会社の存在には気が付いていないか、関心がない。以前、大広という広告会社を偶然知ったのであるが、『宣伝会議』や『広告批評』という雑誌の存在も知るに至り、その関心から日本のメディア媒体が電通と博報堂などの大手が牛耳っている実態が鮮明となったのである。特に、国策会社として出発した電通は、戦争責任を回避するどころか、戦後のマスメディアを領導し、今では、広告会社単体において世界最高の売上高を誇っているのであるが、先般の東京五輪エンブレム盗作事件でも、一枚噛んで暗躍しているのである。時代と国家に近親の関係があることから、まったくもって、デザイナーや○○ディレクターなどの職種は妄信してはいけない人種なのであることを知悉した次第である。
 さて、『戦争と広告』というタイトルは、業界内の人物による言い訳本もあるのだが、今回は学者によるものを参考にした。焚書坑儒される馬場マコトとは違って、利害と打算がないために、より客観的に評価できるからである。人は、ともすれば語られぬ事柄への想像力が及ばない。重要なことは、寧ろそのことへの関心なのである。テレビでは、日本人の優位性・道徳性・精神性を強調する番組制作が花盛りであるが、「それは明治時代以降、とりわけ一八九十年代に作り出され、喧伝されてきた、いわば使い古しのフレーズ」(p4)なのである。広告宣伝は、その視覚性と物質性ゆえに、「聖戦」(=国体を護持する戦争)を遂行するための道具立て(虚構作り)となって侵略戦争に加担したのである。この著書では、『写真週報』と『アサヒグラフ』、及び博覧会ポスターの記事と写真を検討しているのであるが、それだけでも、「ひきこもりの国民主義」(p256)を扇情することにもなったのである。引きこもりとは、二項対立の、非民主主義的なメディア操作性の謂いである。靖国の遊就館はその典型であり、「英霊」と「自存自衛」の展示館となって、加害性を消却して、国民を侵略戦争への動員をまたしても企図しているのであるが、その背後にある単一の国家制度の意図を見抜かなくてはならないのである。人は、やはり、見たいものを見ているのであり、見たくないものを見ていないのである。

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