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2016年3月16日 (水)

宮本常一の女性史

33252991 『日本文学全集14』にも宮本常一の作品が収録されているので通読してみた。併録されているのが南方と柳田と折口のそれであるが、折口の『死者の書』などの作品は、世迷言であり、何の関心も興味もなく、文学作品とも思わない。一方、宮本の『土佐源氏』と『梶田富五郎翁』は、完璧な文学作品である。これに勝る文学作品はそうそう見当たらない。「小説よりもおもしろい」(池澤夏樹、p521)のであるが、今回は、「生活の記録」群(1~12)を丹念に読み解いてみた。これらはあくまでも宮本という男性の視点からの女性史の叙述であるのだが、その民俗学的フィールドワークから得た歴史的事実と結論は、『女工哀史』にも並ぶ歴史的・民俗学的秀作である、と思う。
 宮本は叙述する。女たちはよく働き、夫と共に稼ぎ、家づきあいをこなし、ある者は家督を継いだり、婿をもらい、出稼ぎや家出や旅をして見聞を広めたりと逞しく生きてきた、と。宮本の女性を見る眼は優しい。自分の親の世代も同じように、身を粉にして生業に励み、子供たちを育てていた。「勉強しろ」という言葉は耳にしたことがない程よく働いていた。そのために、水死や熱中症あるいは戦死などで、子供を一人や二人を失っている者もいたのである。そうした悲哀の多くを内に秘めながら、忍耐と快活さで「自分たちの世界をきりひらいていった」(p388)のである。また、「男女同権は、けっして戦後にアメリカから与えられたものではなかった」(p399)のであり、厳しい状況と制約の中でも、それを思い出として生き抜く力に転換している(p443)。こうした女性の近現代史を振り返りながら、宮本は、「女性たちがいろいろ苦難の道をあるいてきつつ、その目ざすところはいつも正しかったように思う」(p497)と賞揚している。その文脈の中で、宮本は「男の特権」について言及している。戦争、政治権力、社会的地位・身分、国家機構、核兵器、原子力発電などは男に特権を供与するものであり、「男の特権が真に剥奪されるためには、戦争のない(平和な)社会をつくり出さなければならない」(p497)のである。それは同時に、女性社会の拡大と女権の拡張と表裏一体関係にある、と指摘しているのである。全く同感である。

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