« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年3月

2016年3月24日 (木)

風土の忘却

33024727 知らない間にこんな本が上梓されていたとは恐れ入る。昭和30年代を基準としているので、自分の経験から、その内容が実態に相合しているのかを今から精査してみたい。その時代を生きた自分の、後世に伝える責任も感じるからである。それだけでなく、共生した親の世代への責任でもあると考えている。ところで、一瞥の印象としては、旧長野市内や西山地方も総括されているので、己の関心事である川中島平の食風土としては不全と思っている。食は気候と生活に左右されるからである。また、これなくして伝統もないのである。近年のTVの気象情報を眺めていると、気象予報士による天気図や天候や気温などの説明に終始して、風土と歴史とは無縁な情報を伝えるばかりで、無意味な情報を垂れ流しているが、これには全くの不満を覚えている。他の誰でもいい気象予報士でいいのだろうか、という疑念を覚えるばかりである。その昔、NHKの新日本紀行という番組を、「社会」の勉強と興味から、ノートに要約しながら聴取したことが思い出される。「社会」は得意科目だったのである。そして今では、訪れていない都道府県が4県になっているのであるが、死ぬまでには制覇したいと願っている。それぞれの都道府県に様々な印象と感想を抱いているが、近年は、駅前やロードサイドなどのどこを訪問しても千篇一律な状況になっていて、特段の感想が抱かなくなっているが、それでも風土による人々の暮らしは千変万化である。それへの日本人の関心は希薄になり、外国と比肩してナショナリズムを扇情したり、東京一辺倒の無味乾燥な文化がメディア媒体で支配しているのである。それは、現今の政府官僚や学者などによる猟官狩りや財界人の社会的無関心などにも見られていることでもある。何一つ公約を実現できないアベという、「命を懸けたことのない」政権の成れの果ての日本である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月16日 (水)

宮本常一の女性史

33252991 『日本文学全集14』にも宮本常一の作品が収録されているので通読してみた。併録されているのが南方と柳田と折口のそれであるが、折口の『死者の書』などの作品は、世迷言であり、何の関心も興味もなく、文学作品とも思わない。一方、宮本の『土佐源氏』と『梶田富五郎翁』は、完璧な文学作品である。これに勝る文学作品はそうそう見当たらない。「小説よりもおもしろい」(池澤夏樹、p521)のであるが、今回は、「生活の記録」群(1~12)を丹念に読み解いてみた。これらはあくまでも宮本という男性の視点からの女性史の叙述であるのだが、その民俗学的フィールドワークから得た歴史的事実と結論は、『女工哀史』にも並ぶ歴史的・民俗学的秀作である、と思う。
 宮本は叙述する。女たちはよく働き、夫と共に稼ぎ、家づきあいをこなし、ある者は家督を継いだり、婿をもらい、出稼ぎや家出や旅をして見聞を広めたりと逞しく生きてきた、と。宮本の女性を見る眼は優しい。自分の親の世代も同じように、身を粉にして生業に励み、子供たちを育てていた。「勉強しろ」という言葉は耳にしたことがない程よく働いていた。そのために、水死や熱中症あるいは戦死などで、子供を一人や二人を失っている者もいたのである。そうした悲哀の多くを内に秘めながら、忍耐と快活さで「自分たちの世界をきりひらいていった」(p388)のである。また、「男女同権は、けっして戦後にアメリカから与えられたものではなかった」(p399)のであり、厳しい状況と制約の中でも、それを思い出として生き抜く力に転換している(p443)。こうした女性の近現代史を振り返りながら、宮本は、「女性たちがいろいろ苦難の道をあるいてきつつ、その目ざすところはいつも正しかったように思う」(p497)と賞揚している。その文脈の中で、宮本は「男の特権」について言及している。戦争、政治権力、社会的地位・身分、国家機構、核兵器、原子力発電などは男に特権を供与するものであり、「男の特権が真に剥奪されるためには、戦争のない(平和な)社会をつくり出さなければならない」(p497)のである。それは同時に、女性社会の拡大と女権の拡張と表裏一体関係にある、と指摘しているのである。全く同感である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月10日 (木)

確定申告した、日本死ね?

11031066723 午前中に確定申告を終え、スズメの涙金が還付されてくる。「納税は国民の義務」という憲法(第30条)の規定があるものの(明治憲法も同じ)、世の中というものは不合理にできていて、半世紀も前からクロヨン、トーゴーサンピンなどと、税務署による所得の捕捉率が人口に膾炙されている。つまり、税金逃れが公言されているのであるが、このうち、事業主と政治家(とりわけ与党政治家)による税逃れの実態を知れば、サラリーマンは逆上するのではないか。銀行や大企業が法人税(23.9%)をほんの少ししか払っていない実態、政治家の脱税などは、自分の経験からすれば、寄付や控除や還付金、家族を議員秘書にしたり(議員秘書の経歴のある国会議員は信用できない。世襲議員が殆どである)、政治団体経由にしたりすれば、ほとんどが税逃れをしているのである。中には、会社の経費として自分の生活を賄っているケースもあるのである。サラリーマンほど損な商売はない。だから、そもそも国家なぞ必要もないと思っている人間は、企業の社会的貢献や公僕意識を持たない悪逆非道の連中を養うために、そもそも税金を支払う必要など全くないのである。そして、学校教育では、公民や政治・経済という教科があるものの、地図や碌でもない歴史人物や戦乱を覚えさせられたり、受験必須科目となっているので、世の中の実務は全く教えられない。法律がしっかりと理解できるのは法学部の学生ぐらいになってからであり、他学部の学生は、大学生になっても法律・税務に疎いのである。「保育園落ちた日本死ね」というブログが育児世代の共感を呼んでいる(これも参照)。保育士たちは待遇劣悪の環境の中で辞めていく者が引きも切らないために、保育施設を拡充できないのである。また、働かなければ生活もできない女性たちに、「女性活躍」を推進する政策とは、戦中の「産めよ増やせよ」という銃後のスローガンと言ってもよい。女性差別の極致の内閣である。申告を終えての売店で、「おたっしゃ豆富」と善光寺おやきを購入してから会場を後にし、午後は水木しげるの『白い旗』を買い求めた一日であった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2016年3月 4日 (金)

戦記漫画家・水木しげる

33377042 読書歴は、既にかなり「偏頗」なものになっていて、今では、司○や三○や志○や○端や○林などの小説家や文芸評論家には興味も失せて、まったく寄せ付けもしない。時間の無駄であるからである。己の人生も残り少ないこともあるので、無駄な文章を読み進めても、無駄は無駄である。工事中止という国の辺野古和解提案は、全くの参院選挙目当ての突き崩しであるし、こういう政局を弄するやり口は、彼らの常套手段である。唾棄すべきものである。大体、A級戦犯が首相にも登り詰めているだけではなく、その一族の一人が再び首相の地位を占有しているという事実が戦後平和の擬制を象徴している。その一方で、既成左翼や自由・平和主義者にも問題がある。彼らの中には、終いには無党派層や無関心層を非難することで反動右翼の片棒を担ぐものまでになっている。それが奴等の思う壺であることすら気が付かないのである。アベやトランプの人気と支持は、このためなのである。彼らはナショナリズムを煽って、失望から派生した差別排外主義に乗じているだけなのであるが、かと言って、奴等が何も解決できないことは分かり切っている。これ以上の言い分は控えるが、奴等のやり口はすべて予想通りであり、心底、馬鹿げている。こんな時には、水木しげるの作品を読み続けるのが今の読書習慣となっている次第である。水木の漫画は、『週刊少年マガジン』の連載で魅惑され、似顔絵を投稿して入選し、『ゲゲゲの鬼太郎』のソノシートを景品として貰ってことがある。しかしながら、その後、漫画から離れてしまい、彼が戦記漫画を描いていたことを知る由もなく、今頃になって、少しづつ読み進めているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »