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2016年2月14日 (日)

平和の覚悟

33308038_2 この本の解説は、ノンフィクション作家の柳田邦男であるが、彼はそこで戦争の実体験を伝えてゆく重要性を訴えている。換言すれば、戦争の恐怖を語ることが戦争を阻止するために必要であるという考えである。戦後70年、日本国憲法の前文にある、平和を希求していくことによって国際貢献するのだという決意は、順序が逆になって、国際協調(軍事力)によって平和を実現するのだという主張に変わり、時の首相によって罵倒され、改憲が標榜されている状況である。戦争体験は風化され、90歳以上の戦争体験者の世代は、ほぼ他界している。解説者である柳田にしても、9歳以下の年頃の戦争体験なのである。では、平和を実現してゆくためには戦争を追体験すればいいのかというと、それだけでは無理と言わなければならない。人間の記憶と感情は時の経緯によって失われるのは必定であるだけでなく、怒りの昇華と「普段の努力」(12条)なくして実現するものではないことは言わずもがなである。パワー・ポリティクスによる政治は、学問的には国際政治学や国際関係論によって保障され、アベの唱道する「積極的平和主義」はその延長線上にある。だから、それらの学者はアベの徒党と断じてよい。また、軍事力による自国防衛とは、それが常に戦争危機を胚胎し、際限がないことから、防衛することも「平和」の実現もできないことを前提にしているのである。言ってみれば、二律背反の「平和」思想なのである(実際、人類の近現代史はそのことを証明している)。だから、そのためには平和と人権の思想を封じなければ不可能なのである。反戦平和思想だけなく、基本的人権(生存権)をも根絶することを使命としているのである。自民党の憲法草案は、そのことを如実に示している。積極的平和主義の、この二面性こそ暴露しなければならない事柄なのである。それでは、児童作家による19人が示している戦争の真実はどうだろうか。精査すると、長野ヒデ子と田島征三の文章が殊更印象に残った。長野の父は、戦争によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)で入水自殺している。その体験から、彼女は、「父こそ自分の思いを封じられ自分とはちがう考えや行動を強制されるつらさとこわさを味わったのだと知りました。戦争のほんとうのこわさはそれなのです」と悟っている(p32)。また、田島は、廃棄物処分場反対運動の経験から、「でも、あしたも『反対』といえるだろうか?」と疑問を呈している(p51)。戦争の悲惨を感じているだけでは平和は実現しない。平和を望む思想信条を改変する社会的な強制を打ち破るような、確固とした信念が不可欠であり、必要とあらば、戦争を策動する政府を打倒するだけの覚悟も必要であることを教示しているのである。

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