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2016年2月 3日 (水)

姥捨て場の施策

33310048 元気な内は「介護」なぞ何の実感もない。当たり前である。しかしながら、いかに自信があったとはいえ、還暦を過ぎると自身の衰えを感じ、70歳の声を聞くと体のあちこちに悲鳴が聞かれ、80歳前にはついに認知が覚束なくなるというのが実情ではないか。社会的介護と叫ばれて久しいが、2000年の介護保険制度の施行によって、措置の時代はさておき、在宅介護へのシフトが始まっている。しかしながら、急速な超高齢化社会の到来で、制度改革が追い付かないというのが現実である。国の為政者や官僚どもは、こんなことも予想できない程の愚かどもであるが(東大や慶大などの出身者である。彼らの言動は、政府側に立つために全く信用に値しない)、投げやりの愚者としか言いようがない。自分たちが介護の受益者となれば安い対価で若者に面倒を看てもらおう、などというさもしさと傲慢には失笑してしまうのであるが、現時点の状況はどうかと言えば、この本の筆者が仄めかしているように、「最期は『施設で』と、割り切る高齢者(家族介護者)が多い」(p12)というのが実状である。要するに、介護施設は現代の姥捨て場となっているのである。著者は政府(厚労省)の審議会委員として様々な提言をしているのだが、財源論や政治過程論に阻まれている(この本の上梓も政策提言と反論の一つである)。しかしながら、国民の側の介護についての意識は、一向に改善されず、介護事件や事故が顕現した時に初めて意識化されるという事態なのである。そういう意味では、将来的にも、介護に関して家族や親を支えるためにも、この本の意義は相当あるだろうと思うのであるが、国自体が姥捨て場を模索するような施策を講じているのを知らないようでは、如何ともし難いとしか言いようがない。ましてや、戦術(政局)を弄び、政治哲学もなく何の解決もできないアベ政治では、いよいよ悪化と破局に向かって、粛々と進行してゆくのである(これも参照)。

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