国境を超えた平和
この著作集2の「戦争体験を生かす道」という表題の中で、宮本は幾つかの提起をしている(p207~218)。叙述の時期は、昭和40年の前半だから、宮本が57歳の頃である。宮本の戦争体験は、フィールドワークに専念した30代のことである。それを後顧した上での話である。なぜ召集もされずに学究に没頭できたのかは不明である(そのことを知ることも著作集を読み解く私的な知的快楽であるのだが)。いずれにしても、真珠湾攻撃による太平洋戦争の開始を耳にして、「血の気のひいていく思い」をしたのだが、「勝てる戦争ではない」という認識は、戦争体験者が戦後屡々使用した常套句で、その後付けは信憑性がないように思われる。事実、戦争末期に大阪府嘱託農業技術指導員として、供出実績の一番悪い被差別部落を訪ね、その区長に対して、「とにかくこの戦争に何としても勝ちたい、まけてしまえばほんとにみじめだ」と話しているのである(p215)。この言葉に対して、区長は「わしらは勝っても負けてもどっちでもいいんです。どうせ一番下にいるので、日本がおさめてもアメリカがおさめても大してかわりはないでしょう」と答えて、宮本は大いに感銘を受けたというのである。ここから、宮本の回答は、①戦後の平和社会の中にも戦争の残忍さと無責任さが残存している、②また、それから脱出するためには、一人一人の自己責任の意識の確立が必要である、③総力戦である現代の戦争においては、例外はないという考え方の確立が必須である、④最後に、国境も政府も超えた民衆同士の連帯によって平和への方策を模索することが戦争体験を生かす道と結論している、である。ここで注目したいのは、「民衆同志(ママ)の間にはもともと国境というようなものはなかった」(p216)という宮本の発見である。そういう観点からする民衆側の平和問題研究機関もしくは運動体は、未だに未熟のままと言わねばならないのである。
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