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2016年1月15日 (金)

中央と地方

00169253 宮本常一の言説には異同も覚えることが屡々であるが、渋沢敬三というスポンサーを得て、戦中からのフィールドワークのための全国行脚が27年にも及び、彼は膨大な資料と叙述を残している(現在刊行中のものもある)。その中には興味深い叙述もあって、ついその著作集を丹念に繙読してしまうことになってしまう。で、著作集2であるが、私的に二つの論点があると思っている。一つは地方の活性化という問題であり、六十年来の課題である。もう一つは戦争体験をどう生かすかという提起をしているのである。
 第一点については、明治以来の近代的中央集権体制が地方を衰微させたのであると断定している(p17、p46など)。それは今もって変わっていないと言えるだろう。いわゆる国内「植民地主義」(p44)であり、換言すれば、国内市場(需要)であり、地方の農産物と労働力を安価に費消しながら工業製品を高く売りつけてきた歴史である。道路網の整備などによって工場誘致したり観光立県を目論んだりする方策と、国の地方交付金や補助金目当ての陳情政治(中央への随従)は、今もって、献策されている始末である。半世紀経ても、相も変わらずと呆れる他はない。「明治以降の日本の田舎(地方)は、都市を成長させるための肥料のような役割」(p93)を果して来たのである。地方振興を阻害する要因として、宮本はテレビと学校教育を痛罵している。彼の言によれば、テレビは民衆生活に密着しておらず、答えが初めから用意されている(p205)。スマホにしても同様である。また、地方財政を費して人材を育成しても、結局は中央が集約してしまっているのである。宮本が解決策として提起している「近代的に訓練せられた若いエネルギー」による方策にしても(p101)、現今の彼らの稚拙さを思えば、不変と失望を覚えるのみである。一体、沖縄のような、「地方の反逆」以外に方法がないのではないだろうか。18歳選挙権年齢の引下げと併せて、一票の格差問題を口実にした議員定数是正は、愈々中央志向を促進し、経済主義と反動右翼の牙城である都市住民を益々増長させることにはならないのだろうか。これで喜ぶのは誰かということを想像してみたいものである。
 さて、第二点であるが、こちらの方が宮本の独自見解が窺われて興味深いのであるが、次回に考えてみたい。

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