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2016年1月21日 (木)

日本近代史の俯瞰

32918106 暇にまかせて通読してみた(特段、余裕があるわけではないが)。著者の立場は、「はじめに」と「序」において鮮明に提示されている。「歴史の内在的理解」であり、それは、その時代の人間の価値基準に基づいて、状況に即して理解することである(p.ⅰ)。それは同時に、一元的なイデオロギー史観批判という立場ともなると著者は叙述している。彼は、日本近代史における「遅れ」「ゆがみ」論に対して、明治憲法体制において、立憲政治が確立した時期があったという見解ゆえに、伊藤博文等を評価しているのであり、「西欧の衝撃」から国家の危機意識に支えられたナショナリズムによって、日本は国家として独立できたと考えている(p95)。極論すれば、明治維新の遂行から日露戦争までを称揚するのである。まるで、どこかで聞いたような史観であり、この見解は、日露戦争後の時代を「暗黒な昭和」として否定的に評定するのである。しかしながら、日本の近現代史において、「国権論」というキーワードは重要であると思う。国権論とは、国家権力の対外的独立を主張する論であるが、それは帝国主義段階を経た昭和期においても、対外的膨張(侵略)として、敗戦まで首尾一貫として貫かれた思想である。そのように考えた場合、例え、一時期に立憲政治が確立したと主張しようとも、それは反証にはならない。日本史の記述は、史学者によって、相も変わらず為政者や著名人などのそれが羅列されるが、民衆の闘いや生活の実相は詳らかに記述されない。これで実証的研究の成果と言えるだろうか。文部省検定に準拠した出版という限界があるのだが、むしろ、禁圧されるようなものこそに歴史の真実があると言えるだろう。とは言え、日本近代史をパースペクティブに俯瞰するには打って付けの著作であると思う。しかしながら、であるが故に、「自由」主義史観から非難される史観なのである。現今の日本において、アベを始めとする、権力をほぼ掌握している歴史修正主義者どもは、立憲主義にも立たない明治維新論を気取っているからである。その結果は敗戦という歴史がはっきりと例証しているのである。

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