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2016年1月

2016年1月21日 (木)

感覚を信じてはならない

Soybean 岐阜の食品横流し問題がこの所報道されている。CoCo壱(愛知県を新幹線や高速道路で通過すると必ずその看板を目にする)のみならず、コンビニ、大手スーパー、そして大手食品メーカーなどの食品転売事件であるが、そんなことは周知の事柄である。ほとんどの食品は偽装なのである。それを有り難がって、テレビのグルメ番組を喜々として見たり、グルメ自慢をするタレントや消費者の方が問題なのである。まず、化学調味料が添加された食事で、「おいしい」とか、デブでデカ頭の「まいう~」などという場面は見飽きたことである。築地のマグロ信仰や霜降り牛肉にはホトホトうんざりする。いかに冷凍技術の進歩があろうとも、地産地消、旬産旬消、地物地消が原則である。霜降り肉を「柔らかくて(ジューシーで)美味しい」などと言う芸人には(ジューシーとは、元々、水っぽくてスカスカで利益が高いという意味である)、差別表現であるが、狂っているとしか言いようがない。それは注射や餌によるブヨブヨ肉ですよ、と云いたい所であるが(それを食する日本人の顔が、近頃益々ブヨブヨしているのにお気づきだろうか)、我慢している。人は人、我は我である。また、大豆が原料となる食品は、和食の基本材料であるが、ほとんどは「遺伝子組み換えでない」と表示されているが、全く信用が置けない。5パーセント以下の混入は表示義務なしとのことであるが、信用できない。一体、遺伝子組み換えでない大豆を日本のどこでどれだけ生産しているのであるかという疑問がある。コーヒー豆が安く買いたたかれる生産国の人々が自前の食事もままならない状態に置かれている現実を分かっているのだろうか。SMAP解散問題や軽井沢スキー転落事故やベッキー不倫交際や甘利収賄などの事件で埋没してしまうのであるが、自分の食べている食品から疑いをもって、世界を展望してもらいたいものである。「感覚は、時として人を欺くことがある。たとえ一度でも私たちを欺いたことのある者を、全面的に信用などしないのが、賢明というものだ」(cogito ergo sum)とデカルトは喝破しているのであるが、これはこの国の嘘つき為政者にも言えることである。

 一日に二回もブログ投稿するなんて、やっぱり暇でした(笑)。

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日本近代史の俯瞰

32918106 暇にまかせて通読してみた(特段、余裕があるわけではないが)。著者の立場は、「はじめに」と「序」において鮮明に提示されている。「歴史の内在的理解」であり、それは、その時代の人間の価値基準に基づいて、状況に即して理解することである(p.ⅰ)。それは同時に、一元的なイデオロギー史観批判という立場ともなると著者は叙述している。彼は、日本近代史における「遅れ」「ゆがみ」論に対して、明治憲法体制において、立憲政治が確立した時期があったという見解ゆえに、伊藤博文等を評価しているのであり、「西欧の衝撃」から国家の危機意識に支えられたナショナリズムによって、日本は国家として独立できたと考えている(p95)。極論すれば、明治維新の遂行から日露戦争までを称揚するのである。まるで、どこかで聞いたような史観であり、この見解は、日露戦争後の時代を「暗黒な昭和」として否定的に評定するのである。しかしながら、日本の近現代史において、「国権論」というキーワードは重要であると思う。国権論とは、国家権力の対外的独立を主張する論であるが、それは帝国主義段階を経た昭和期においても、対外的膨張(侵略)として、敗戦まで首尾一貫として貫かれた思想である。そのように考えた場合、例え、一時期に立憲政治が確立したと主張しようとも、それは反証にはならない。日本史の記述は、史学者によって、相も変わらず為政者や著名人などのそれが羅列されるが、民衆の闘いや生活の実相は詳らかに記述されない。これで実証的研究の成果と言えるだろうか。文部省検定に準拠した出版という限界があるのだが、むしろ、禁圧されるようなものこそに歴史の真実があると言えるだろう。とは言え、日本近代史をパースペクティブに俯瞰するには打って付けの著作であると思う。しかしながら、であるが故に、「自由」主義史観から非難される史観なのである。現今の日本において、アベを始めとする、権力をほぼ掌握している歴史修正主義者どもは、立憲主義にも立たない明治維新論を気取っているからである。その結果は敗戦という歴史がはっきりと例証しているのである。

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2016年1月15日 (金)

中央と地方

00169253 宮本常一の言説には異同も覚えることが屡々であるが、渋沢敬三というスポンサーを得て、戦中からのフィールドワークのための全国行脚が27年にも及び、彼は膨大な資料と叙述を残している(現在刊行中のものもある)。その中には興味深い叙述もあって、ついその著作集を丹念に繙読してしまうことになってしまう。で、著作集2であるが、私的に二つの論点があると思っている。一つは地方の活性化という問題であり、六十年来の課題である。もう一つは戦争体験をどう生かすかという提起をしているのである。
 第一点については、明治以来の近代的中央集権体制が地方を衰微させたのであると断定している(p17、p46など)。それは今もって変わっていないと言えるだろう。いわゆる国内「植民地主義」(p44)であり、換言すれば、国内市場(需要)であり、地方の農産物と労働力を安価に費消しながら工業製品を高く売りつけてきた歴史である。道路網の整備などによって工場誘致したり観光立県を目論んだりする方策と、国の地方交付金や補助金目当ての陳情政治(中央への随従)は、今もって、献策されている始末である。半世紀経ても、相も変わらずと呆れる他はない。「明治以降の日本の田舎(地方)は、都市を成長させるための肥料のような役割」(p93)を果して来たのである。地方振興を阻害する要因として、宮本はテレビと学校教育を痛罵している。彼の言によれば、テレビは民衆生活に密着しておらず、答えが初めから用意されている(p205)。スマホにしても同様である。また、地方財政を費して人材を育成しても、結局は中央が集約してしまっているのである。宮本が解決策として提起している「近代的に訓練せられた若いエネルギー」による方策にしても(p101)、現今の彼らの稚拙さを思えば、不変と失望を覚えるのみである。一体、沖縄のような、「地方の反逆」以外に方法がないのではないだろうか。18歳選挙権年齢の引下げと併せて、一票の格差問題を口実にした議員定数是正は、愈々中央志向を促進し、経済主義と反動右翼の牙城である都市住民を益々増長させることにはならないのだろうか。これで喜ぶのは誰かということを想像してみたいものである。
 さて、第二点であるが、こちらの方が宮本の独自見解が窺われて興味深いのであるが、次回に考えてみたい。

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2016年1月 2日 (土)

動乱の一年

7j59wrr1_fwiw1u1451704536_145170509  桝マキダイinセブ太一に夢中㊙ドッキリ。小林幸子VS中尾彬!!総額○億!!豪邸宝探し。チュートはワゴン森星と京都旅へ。因縁!!徹子VSアッコパチンコ大当たり連発ローラ・小堺も興奮!!桐谷美玲は自信満々三重奏32億円VS80万円。東~ナイツ・バカリ明るい安村ビスタチオロバート柳原サンド・・・スピワゴにドランクも今見たらちょうどいい熟成芸人に大爆笑。さんまがムチャぶり!木村拓哉が笑いの聖地でコント?舞台裏&表パニックドキュメント。史上初!?現役大臣参戦甘利大臣の細川たかしVS高市大臣のXジャパン。日本の自然を再発見!地域創生、復興の目玉となる47都道府県の魅力を網羅し、ニッポン全国を元気にする、土井善晴が正月早々?鳥越俊太郎仰天セリフ新企画吹き出し大喜利峰岸みなみ黒沢かずこおのののか今田耕司。嵐旅館豪華有名人お忍び宿泊櫻井は超多忙錦織圭&ミランダカーと餅つき松潤が華麗にもてなし宮沢りえの顔に墨?超心理戦ドッジボール長瀬智也が禁断のキス錦戸愛の超人現る。・・・・・・(あほらし)。

 ざっとこんな具合である。元旦のテレビ欄見出しである。何とも言いようもない程である。中央文化の腐敗を、ものの見事に表象している。これが都市に住む有名大卒のTVプロデューサー等の仕業なのである。という具合で、謹賀新年。過疎ブログですが、今年もどうぞ宜しくお願い致します。どうやら、今年は動乱の年になりそうな気配である。この場で、はっきりと予想しておく。せめぎ合いの結果が出る一年である。惨事と熱狂の内で。

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