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2015年12月21日 (月)

大岡の「異物」

Hae09720thumb1428582228535740  二度目の完読である。なぜ今更、大岡の自伝文学を紐解くことになったかは、大岡と等しく、過去を回顧したかったのかも知れない。辛抱強く判読してみると、「辛読」という言葉があってもしかるべきと思わせる。大岡の小説を読み解く文学研究者には、その文学を批評するために興味のある題材だろうが、渋谷という一地方話の冗長に付き合うのは、本当に辛いことだった。大岡への関心は、ひとえに、戦争体験者として芸術院会員(と文化勲章)を辞退したことと、『俘虜記』、『野火』、及び『レイテ戦記』などの戦記文学であって、中原中也や小林秀雄などとの交友には膏も関心がない。特に、小林秀雄は高校の国語教科書に必ずと言っていい程掲載されていて、大学入試問題にも頻出していて、辟易したものである。当時の国語教師や文学者には著名であったが、読んでみると非論理的であって、論旨が掴めない。何を言っているのかさっぱり分からないのである。自分の理解力が足りないと当時は思ってもみたのだが、今思うと、小林は偽文学者だったのである。だから、時間の無駄のため今では全く読まない。そんな調子であるから、大岡自身は小林とはいささか距離を保っていたように見える。作風も考え方も全く異なるのである。ところでこの自伝小説であるが、まさしく、自身の少年時代を回想するものである。即ち、両親への反発心、盗癖や性癖からくる罪悪感、およびキリスト教への帰依と棄教からスノビズム(貴族主義の俗物根性)への傾斜という内容である。『少年』の劈頭で、彼は自身のことを、「私とはつまらない人間だ」(p5)と独白している。と同時に、「自分の過去は・・・今日の(60歳を過ぎた)自分との連続がわからない異物があるような気がする」(p5)と仄めかしている。この「異物」とは何なのか。これが問題なのである。彼の少年期は、1918年(満9歳)の米騒動から始まり、1923年(満14歳)関東大震災を転機とする。第一次大戦後の戦後景気と恐慌を経た帝国主義の確立期であると同時に、階級闘争が激化した時代である。いわゆる大正デモクラシーの最盛期でもある。『少年』の中での最大の事件は、キリスト教との出会いと別れである。「大正文学の微温的な人間主義的雰囲気の中に、私の棄教はこの年(1922年)のうちに完成する」(p241)と反芻している。さらに、「私の最初の自我の目覚めと超自我の形成がキリスト教によったということはさまざまの形で、私のその後の精神の傾斜を決定していると思われている」(同)という記述は、そのことを証左している。その後、大岡は少年期の「憂鬱」から「不満」へと脱出してゆくが(p325)、それは、この本の最後の文章にあるように、青年期の「アイデンティティを失った日本的幽鬼、スノッブ」(p365)への移行である。生来の「自分を大事にする気が(私には)最初からなかった」(p360)という文脈があるように、1975年(満66歳)の時点で大岡は自分が何であるか分からないし、変わらないと断言しているが(p360、あとがき)、少年期での十字架との出会いは、大岡文学にとって常に付き纏っていたと言えるだろう。戦記小説しかり。また、この『少年』という自伝にある十字架の心象風景(p311~312)は、「異物」として『少年』の中で美しく描写されているが、小説家である大岡その人を終生照射していたのではないだろうか。奇しくも、大岡はクリスマスの日に生涯を閉じているのである(これも参照)。

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