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2015年11月21日 (土)

ものいわぬ民衆

00694085 今年の農事も終了となる。そして、恐らく今年のブログ投稿も最後となるだろう。来年の主食が貯蔵庫に満たされて、愈々、新米の「風さやか」を味わうこととなる。併せて、しょぼしょぼと野菜の育成に関わるのみである。とりあえずの目標は、自給自足の生活を確立することである。少しずつ少しずつ。稼ぎの労働に日中を奪われ、体力を消耗しながらの長期戦略である。地域では、リンゴのふじまつりが開催され、これが終わると、野沢菜漬け(地元では、お葉漬けという)と長野えびす講煙火大会となって、北信州の冬到来である。休日の一日、ゆっくりと家内で過ごしたい。

 何の関連か、『ものいわぬ農民』を手にすることになった。以前から、『戦没農民兵士の手紙』を読みたいと思っていたことの繋がりと思う。著者である大牟羅良は、代用教員の後に渡満し、敗戦前に召集されて復員し、四年間古着の行商生活を経て岩手県の国保の雑誌編集者となった人である。1950年代の、「日本のチベット」と呼称された岩手の農山村を行商しながら巡り歩いて、農民たちの本音を収集した貴重な記録遺産である。今となっては、ほとんど見向きもされない内容ではあるが、歴史はこうしたことの堆積の上に成立しているのである。当時の農業就業人口は約1500万人であり、(子供も含めて総人口の)5割弱が農山村で生活していたと考えてよい。ところが、今では地方は、都市と比較して貧しいなどと評されることが常態している。政府などは「地方創成」を主唱している始末である。地方から収奪しているは、一体何であり、誰なのかを再検討すべきなのである。確かに、農山村の地方は閉鎖的な傾向がある。1950年代の農業の実状は、言ってみれば、江戸時代のそれと変わらず、ほぼ手作業であり、家族労働であり、生産力とてほぼ同等だったのである。ところが、高度経済成長期の60年代になると、村の若者は安価な労働力として必要とされ、産業予備軍として都市に流入していくのである。若者は農家の労働のきびしさに耐えかね、「金なし、ヒマなし、娯楽なし」(p193)の村落共同体を嫌って、まず二、三男や女子から始まる農村の急速な崩壊過程がこの半世紀の間に生起したことである。当時の「農民は“つきあい”と“ひとなみ”(世間体)ということを非常に重大に考える」(p162)と著者は指摘しているが、半世紀も隔てた現在に生きる人にとっては、こうした閉ざされた世界は知る由もないどころか、腑に落ちることなのである。明治維新から敗戦までの近代化は、封建的遺制を抱えたままのそれと言えるだろう。体面は帝国主義の仲間入りを経ながら中身は封建社会だったのである。村社会では、互いの生活を「凝視」(p77,166)し合い、そのようなあり方が一個人を緊縛していたのである。そして、農民は「百姓ずものァ、何にでも喰われる」(p114)と己の宿命を嘆いていたのである。そこに軍隊経験が加わった時、どのように変化するかは、『戦没農民兵士の手紙』に詳しい。無論、一方では軍規のきびしさはあるだろうが、当座の衣食の憂いがないことや軍隊内の「平等」に幻惑されて、生命の引き換えに侵略戦争を担うことになったのである。しかしながら、だからといって、ひとえに農民兵士に戦争責任を負わせるのは間違いである。その戦争を企図するのは軍人や官僚などの国家中枢なのであって、現今の政府による突出は、またしてもの二番煎じどころか、多番煎じであることを念頭に置いておくべきだろう。国家というものは、元々そういうものだからである。

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» 世界中で戦争気分が高まっているいまだから、「『憎しみ』という贈り物はしない」という言葉を心に刻もう。 [くろねこの短語]
 新聞開けば北の湖の訃報にビックリ。またひとつ昭和の記憶が消えちまった。合掌。 [続きを読む]

受信: 2015年11月22日 (日) 07時03分

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