戦争体験記メモリー
今月、知り合いのお爺さんが逝去された。御歳92才の最期であった。安らかな寝顔が印象的であった。彼は、陸軍歩兵の生き残りである。映画俳優の池部良(1918~2010)と同じ、ハルマヘラからの帰還兵である。戦争体験を伺うと、ハルマヘラとは応えるが、実体験はついぞ聞き及ぶことはなかった。悲惨な体験をした人間ほど寡黙であることは経験知ではあるが、彼も例外ではなかった。そこで、追悼の意味を込めて、この池部良の著書を振り返って通読してみた。表紙の装画も彼のものである。見ると、三八銃を右手に所持し、熱帯雨林を彷徨う俯き加減の姿がいかにも痛々しい。池部良といえば、東映の仁侠映画で、名脇役として映画館で初見しただけであったが、『青い山脈』という映画で人気を博して、その後、実力派俳優として夙に著名となった名俳優である。但し、自分の記憶としては、昭和残侠伝のヤクザ映画しか覚えがない。左翼でもなんでもない人となりであろう。だからこそ、読み解く必要性に駆られたのである。ところで、内田樹が池部良に言及しているブログがあるが、この分析と彼の言論には、あまり賛同しない。むしろ、異同がある。池部良は、確かに自制をなくして告発しているのである。九死に一生を得た池部は、大卒士官として部下を思いやる一方で、市谷(士官学校)出身の職業軍人に対して不信感を表明し(p328、370など)、明治維新以来の、日本軍首脳よる原始的な戦闘観を批判している(p328)。戦後の昭和30年代に見られた戦争ブームの中にあって、自分も戦艦武蔵や零戦のプラモデルを作りながら、このような巨艦主義や特攻や陸軍の歩兵主義に聊かの疑問も抱いていたのである。第二に、彼はこのような軍事行動について、論理に崩れがあり、ころころ変わると嘆いている(p77、81など)。「こんな、南のジャングルにまで、俺は、何しにやって来たんだ」(p368)と慨嘆し、無為な日々に胸を痛めている(p367)。彼のこの本が、フィクションなのかどうか知らないが、相当な真実と告発を読み取れるのではないか(これ参照)。芥川龍之介は、『偸盗』という小説の中で、こう記している。「盗みをする事も、人を殺す事も、慣れれば、(政治家という)家業と同じである」と。知人のお爺さんのご冥福を、心から祈るものである。
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