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2015年4月

2015年4月13日 (月)

ずくなし農法

07305527  休日の今日は、地方選挙の投票と長ネギを植えてみた。棄権すれば、ムチャクチャな政治をされるから。長ネギは苗を貰ったから。農法は相変わらずの「ずくなし農法」である。序でに、車のタイヤ交換を終える。少し疲れて傾眠も快い。陽気もよく、サクラの花見日和で車や人出が多いように見受けられた。山から桜並木を鑑賞してみた。庭のゆすらうめも満開で、春霞という時候になった午後である。

 とは言え、『餓死した英霊たち』の著者、藤原彰は、本文の中では英霊という言葉を使用せず、表題でのみ使用している。それも、大きいフォントでカッコ付きなく英霊たちとしている。大きな靖国の鳥居の左隅に、小さなフォントで申し訳なさそうに、餓死(うえじに)した、とあるが、その真意はよく分からない。英霊を誉めそやす輩を念頭において、彼らを咎める意図があるのかも知れない。いずれにせよ、藤原の論点は鮮明である。制空権もなく、補給を無視し、白兵突撃を指令する大本営の作戦は時代錯誤の戦法であったのである(p23)。大量餓死の根本原因は、「日本軍隊特有の性質である(天皇への忠誠を柱とする)精神主義への過信があったのである(p178)。それは歴史的に遡及すれば、1882年の軍人勅諭であり、これが軍紀・絶対服従主義を生み出したのである。また、この過程で役割を果たしたのが山縣有朋なのである(軍人訓戒、p188)。付け加えれば、戦陣訓を待つまでもなく、捕虜を潔しとしない伝統観念の上に捕虜が重刑に処される軍法があって、これが無残な餓死と玉砕をもたらしたという結論である。私的には、玉砕もカッコつき使用が望ましいと思われる。そして、「英霊」論に対置すべきものは、「礎」論ではなく、著者のいう「野垂れ死に」論もしくは「犬死」論であって、それこそが正に、逆説的に「英霊」たちの死を無駄にしない追悼となるのである。靖国に祭っていては、永遠に彼らは野垂れ死にしたままなのである。

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2015年4月 8日 (水)

『餓死した英霊たち』

30835411  大本営に所属する陸軍参謀作戦課幕僚層の戦争責任を論旨明解に開示した告発本である。「はじめに」と「むすび」を一読すれば、概要が把握でき、結論も理解できる。曰く、アジア太平洋戦争において、軍人軍属の死者数230万人の内、過半数(6割強の140万人)が、名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったということである。人災であることを剔抉していることである。ここで興味が湧いた問題は、著者は本の中で、「礎」論を全く展開していないことである。このことに歴史学者としての良心を感得した次第である。右翼の「英霊」論に対置されて、左翼・平和主義者の中には、相当数の「礎」論者がいるのであるが、これにはひどく違和感を覚えてしまうのである(つづく)。

000_1111  実を言えば、本ブログのアクセス数が激増するのはサクラの時期である。このシダレザクラのスナップは好評である(これも)。サクラを鑑賞する時には、アンビバレントな感情に捉われてしまう。その美しさに感動したいという気持ちがある一方、だからどうしたの、という開き直りの感情である。日本人の一部の人々にとっては、サクラに国粋的な感情を移入した歴史がある。殊に、本居宣長の敷島の和歌である。上田秋成が仰るとおり、頭がどうかして、クダラナイとしか言い様がない。サクラはきっとはた迷惑な思いをしていることであろう。

000_1123  やはり、今年の光林寺のスナップである。サクラだけでなくヒトの姿を映しこむのが自分の写真技術の方法である。サクラ単体としての映像には全く興味がない。老婆が正門に向けて階段を一歩ずつ登っている。サクラが招いているかのようである。サクラもまたヒトを見つめているのである。

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