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2015年3月15日 (日)

己を顧みることのない情感

33212837  ネトウヨとは異なり、朝鮮人や中国人を嫌いになったことはない。在日朝鮮人の存在を目の当たりにしたのは関西に在住するようになってからなので、むしろ遅きに失したと言えるだろう。歴史の知識として学んではいたが、実体験するに至ったのは、大分、齢を重ねてからである。優秀な医学生のK君との交誼や、糾弾された医療学生のSさん、選挙権の無いことで困惑したKさん、鶴橋駅のガード下で朝鮮食材の販売に勤しむオモニとの会話、女子朝鮮高校生が着たチマチョゴリ(オッコルム)の美しさなど、楽しい想い出が尽きない。彼らとの関係は、毎度のこと、目からうろこが落ちる新鮮な感覚と感動を覚えたものである。この新書にある御幸森、舎利寺、猪飼野、百済、今里、高井田など、かつて徘徊した街並みを懐かしく想い出す。著者は、戦前の植民地下の朝鮮に生まれ、「国体明徴、八紘一宇の皇国史観を体現して大東亜共栄圏建設に率先して邁進する」(p66)皇国少年として成長し、解放後は一転して、分断統治に反対した済州島四・三事件の当事者である。その後、弾圧を逃れて日本に避難した在日朝鮮人である。尊名は伺っていたが、著書を読んだことはないのでこの機会にその回想自伝記を通読してみたのである。四・三蜂起の実体験が生々しく、その非合法・非公然活動を興味深く読むことができた。叙述は詩人としての本領が発揮され、苦難を感じさせないものになっているが、読者はこの詩人の身上を想像力を持って補うしかない。彼にとって〈在日を生きる〉とは、南北統一を願う在日朝鮮人として生きることであると想像させる(p278)。その課題は、統一ドイツとは異なって、まだまだ実現していない(南北分断の原因は日本の植民地統治支配である)。彼の詩作は、自分の内部に巣食っている日本との対峙であり、日本語への報復として結晶していると思わせる(p254)。皇国少年の時代に親しんだ日本の童謡や抒情歌の中に、「己を顧みることの無い情感」(p53)を発見している(これ参照)。文中には、まともな日本人からすれば、「日本は絶対、心根のやさしい人々の国である」(p250)という違和感を覚える一節があるが、むしろ、だからこそあの残虐な侵略戦争を断行できたのである。このところ、日本(人)は素晴らしい、外国人も賞賛しているというテレビ番組が垂れ流されているが、この風潮には余程の警戒感を持たなければならないのである(これも参照)。

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