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2015年3月 7日 (土)

「いのち」の序列化

32194422  「いのち」の序列化をキーワードとして、日清・日露戦争から日中戦争開始直前までの近代史を俯瞰する歴史書である。皇国史観や英雄史観とは無縁な人々の生活と闘いからの歴史叙述である。その意味では、すんなりと興味深く読了することができた。「いのち」の序列化とは、帝国主義の(内外の)植民地支配の謂いである(p11)。既に、主導線と利益線という考えを示し、「日本の防衛のためには朝鮮半島を確保する必要があることを強調していた山県有朋」(p245)等の藩閥政府は、日清戦争の時点ですら中国大陸への野望を抱いていたのである(p53)。恐らく、戦前の侵略戦争の始原は明治維新にあるのではないかと見当をつけているが、維新政府の制定した憲法と教育体制の中で、日清・日露戦争の勝利と挫折を通して、日本の民衆は「帝国意識」(p83など)に包摂されたことは間違いないだろう。それが侵略戦争の主要な要因であり、それが敗戦へと一直線に突進したのではないか、と睨んでいる。山川菊枝は、日本人にとっての真の問題は、「偏狭な郷土的愛国心と民族的優越感の問題」であるとして、それが「日本人自身の解放の最大の障害になっている」と指摘したそうである(p328)。では、中間期の大正デモクラシーとは何だったのか。それはごく一部の知識層の思想運動であり、貧困に沈んでいた半分もの民衆にとって、ほとんど意味を成さなかった、と言えるのではないだろうか。それ程、政治と政治家に対する民衆の徹底した不信感があったのである(p349)。関東大震災という大惨事に乗じた軍・官憲と都市住民は、無辜の朝鮮人・中国人と、闘う労働者や大杉栄への虐殺事件を惹起して、都市と知識層の持つ意義すら奪って行ったのである。侵略される側の苦しみや悲しみなど思いもよらない時代であったのであり、それは、現今のアベ政治の言動とイデオロギーの中にも通低する狭隘な意識である。

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