生存を否定する為政者
歴史を語る上での重要な視点には、二つが必要なのではないか。一つは、庶民がどのように生き死にしたかの実相を捉えることであり、二つ目は、それが現在の我々に何を訴えているのかという観点である。この場合、国家観や英雄史観などを持ち出す歴史観は唾棄すべき代物であり、明治維新観や司馬史観など笑止千万である。いのちの序列化を承認し、人々の生活や生命は度外視されてゆくからである。昭和恐慌期の特徴は、欠食児童、乳幼児死亡、娘の身売り、非衛生的な衣食住、親子心中など、「生存の仕組みが大きく崩れて生存自体が問われた」(『戦争と戦後を生きる』大門正克、p23)ことにある。アベ首相の発言の中の、「しっかりと」や「切れ目なく」という言葉の中に、有無を言わせず独断的に世論形成するあり方を見るにつけ、人々の生存を否定する思想を臆面もなく宣布する姿に、あのような時代が再び到来する懼れがするのである。この時代、学童疎開した吉原幸子の日記には、国家への務めとして少国民の決意表明に、「しっかり」という字句が頻出しているのであるが(同上、p143~)、それは同時に、中国・朝鮮、アジアへの民族的蔑視観に支えられていたのである。日中戦争当時、軍部作成のスローガン「暴支膺懲」が叫ばれていたのである。人々は、こうした差別排外主義に毒されて、不安と熱狂が醸成されて侵略戦争に突入したのである。日本の総力戦の特徴は、根こそぎ動員にあり、そのための国民生活擁護の高唱とその下での国民生活水準の低下という二つの相反する傾向にあったと分析されているが(p150)、軍部の台頭と革新官僚の果たした役割をつぶさに観察すると、その罪状は計り知れないと言えるだろう。革新官僚は、戦後にも体制の中で残存して現在でも生き続けているのである。岸信介は、日米開戦の詔勅に署名をしたのだが、A級戦犯としての罪を問われることなく、逆にアメリカのエージェントとして首相に上り詰めている。そして、今でも彼らの子孫が政権を担っているのである。筆者は、「日々の暮らしのなかで、しがらみを断ち、強いふるまいに同調しないつながりをつくること」(p357)こそ重要であると開陳しているが、それだけでは戦争への潮流に抗することはできないであろう。
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