We are not Abe
「金と仕事のあるところに人は集まって来る」(p78、「東京と地方と」)とあるが、高校を卒業すると、やむなく上京したのは自分も同様であったが、やがて東京を去ることになった次第である。とても人間の住む所ではなかったからである。当り前なことではあるが、東京はそれだけで完結している訳ではない。駅前やロードサイド店舗だけでなく、電源や食料、就職口にも見られるように、地方から人やカネを集積・収奪して成立しているのである。それで今や、東京の世襲政治家や企業人が幅を利かせ、過剰資本が地方を益々収奪している状況なのである。虚言と妄想のアベ政治はそれを象徴しているようである。それに反対する者の中には、なぜこのような強権政治が罷り通っているのかを思念しない人が多いことは嘆かわしいことである。彼等にとっては「蛙の面に小便」の状態であり、愈々、総力戦体制が完成して行くのである。熟慮すれば、この政治状況は何に起因するかは歴然としているのではないだろうか。批判する側の覚悟が足りないことが一つの要因である。戦前の多喜二や秋水や山宣などの活躍を見れば一目瞭然である。東京オリンピック2020年開催と対テロ戦争に関して、ほぼ全ての国会議員が賛成したのである。誰一人として制裁を受ける国会議員がいない。このようなことは戦前の闘いでもありえなかったのである。第二に、ネトウヨ以下の権力者が、なぜこうまで尊大なのかを注意深く観察しなければならない。やはり、世界の政治支配体制を念頭におく必要がある。先ず、アメリカ帝国主義の戦略的動向とダブルスタンダードである。これを徹底的に政治暴露しなければ人々を説得することはできないだろう。また、彼らがアメリカなどの傀儡ではないかと疑ってみる必要があるのである。非常によくあるように、アベの無能を非難し、マスメディアの腐敗を詰り、平和憲法を憂慮したりしているだけでは(そのようなことは誰でも承知している)、何の効果はないのである。これは一方では、日本に民主主義が定着していないことの証左でもあるが、「(景気回復=侵略戦争)この道しかない」のではなく、他の道もあるのであって、そもそも他ならぬアベ政治の脆弱性を洞察しなければならないのである。アベノミクスの失敗、TPPと農業政策、年金資金の枯渇、拉致問題、原発震災復興、集団的自衛権と安保法制など課題が集積するばかりで、何の解決もしていない政治なのであって、これに反対する側の偏見と誤解があるのではないかと指摘しなければならない。戦前の軍部の独走を、恐慌に苦しむ農民の中に見る歴史学者が未だに後を絶たないが(「信毎」2015年1月25日号5面、加藤陽子)、むしろ、都市住民がその政治を支えているのではないかと疑ってみる必要がある(これ参照)。宮本常一は、「東京に背を向ける人が出て来ないと、国全体の健全な発展は生まれて来ないように思われる。生きるものにとっては東京がすべてではないからである」(同上、p86)と示唆しているが、このところ、沖縄独立論や東京を日本国から独立させるという案が浮上しているが、興味深いことである。
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