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2015年2月

2015年2月23日 (月)

We are not Abe

00169174  「金と仕事のあるところに人は集まって来る」(p78、「東京と地方と」)とあるが、高校を卒業すると、やむなく上京したのは自分も同様であったが、やがて東京を去ることになった次第である。とても人間の住む所ではなかったからである。当り前なことではあるが、東京はそれだけで完結している訳ではない。駅前やロードサイド店舗だけでなく、電源や食料、就職口にも見られるように、地方から人やカネを集積・収奪して成立しているのである。それで今や、東京の世襲政治家や企業人が幅を利かせ、過剰資本が地方を益々収奪している状況なのである。虚言と妄想のアベ政治はそれを象徴しているようである。それに反対する者の中には、なぜこのような強権政治が罷り通っているのかを思念しない人が多いことは嘆かわしいことである。彼等にとっては「蛙の面に小便」の状態であり、愈々、総力戦体制が完成して行くのである。熟慮すれば、この政治状況は何に起因するかは歴然としているのではないだろうか。批判する側の覚悟が足りないことが一つの要因である。戦前の多喜二や秋水や山宣などの活躍を見れば一目瞭然である。東京オリンピック2020年開催と対テロ戦争に関して、ほぼ全ての国会議員が賛成したのである。誰一人として制裁を受ける国会議員がいない。このようなことは戦前の闘いでもありえなかったのである。第二に、ネトウヨ以下の権力者が、なぜこうまで尊大なのかを注意深く観察しなければならない。やはり、世界の政治支配体制を念頭におく必要がある。先ず、アメリカ帝国主義の戦略的動向とダブルスタンダードである。これを徹底的に政治暴露しなければ人々を説得することはできないだろう。また、彼らがアメリカなどの傀儡ではないかと疑ってみる必要があるのである。非常によくあるように、アベの無能を非難し、マスメディアの腐敗を詰り、平和憲法を憂慮したりしているだけでは(そのようなことは誰でも承知している)、何の効果はないのである。これは一方では、日本に民主主義が定着していないことの証左でもあるが、「(景気回復=侵略戦争)この道しかない」のではなく、他の道もあるのであって、そもそも他ならぬアベ政治の脆弱性を洞察しなければならないのである。アベノミクスの失敗、TPPと農業政策、年金資金の枯渇、拉致問題、原発震災復興、集団的自衛権と安保法制など課題が集積するばかりで、何の解決もしていない政治なのであって、これに反対する側の偏見と誤解があるのではないかと指摘しなければならない。戦前の軍部の独走を、恐慌に苦しむ農民の中に見る歴史学者が未だに後を絶たないが(「信毎」2015年1月25日号5面、加藤陽子)、むしろ、都市住民がその政治を支えているのではないかと疑ってみる必要がある(これ参照)。宮本常一は、「東京に背を向ける人が出て来ないと、国全体の健全な発展は生まれて来ないように思われる。生きるものにとっては東京がすべてではないからである」(同上、p86)と示唆しているが、このところ、沖縄独立論や東京を日本国から独立させるという案が浮上しているが、興味深いことである。

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2015年2月17日 (火)

宮本民俗学の私的評価

31312944  『忘れられた日本人』は既読であるが、もう一つ、網野の解説本を読んでみた。前者については、特段の感想は無い。宮本民俗学の前期の集大成であり、著名である。古文書解読と民衆からの聞き取り調査という方法論が窺えて興味深いのは言うまでもない。戦中のフィールドワークが、これ程になされたのは驚嘆するより他はない。しかしながら、網野が(慎重に指摘するように)、「宮本さんの民俗誌はあまりにもみごとすぎて、どこかつくられたところがあるのではないかという印象」を否定せず、「十分な資料批判をする必要はある」(p108~109)というのには妥当性がある。「土佐源氏」の文学的完成度を検討すれば、一目瞭然であろう。実際、これは乞食の話ではなく、馬喰のそれであることは証明されている。しかしながら、網野は、宮本民俗学が百姓=農民という定式(常識)に捉われていると彼らしく批判しながらも(p207)、下層に生きる人々を卑小に捉える近代歴史学の根本にある”進歩”に対する疑問を明確に提示して、日本民族の独自性と独立性を追及したと正当に評価している(p11、p127)と思う。後期宮本民俗学がどのようなものか無学であるが、山口県・周防大島出身の彼が、後々、「橋がかかったら島の人間はみな島から出ていきよる」と嘆息したということに例証されるのではないか。この問題は未だ解決を見ない。約一ヶ月後には北陸新幹線が開通する。ストロー現象はより巨大になる。新長野駅ビルもそれに併せて完成するが、暮れの忘年会の折に、駅構内を一瞥したところ、落胆したものである。改札口を東京資本の店舗で固めた愚劣な駅舎を作る気が知れない。愈々、都市と農村双方の自滅・劣化は止まらないものになってくるのは疑いがないだろう。

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2015年2月11日 (水)

忘れられた国会議員

00169156  若林健太(参院長野県区)が、参院決算委員会で、政府・与党の農協「改革」について、「農協が自由度を持って担い手育成などに取り組める制度改正」と主張し、「JA全中とタッグを組み、何としても農業を成長産業にしなければならない」と発言したそうである。また、全中の監査権限が廃止されることを踏まえ、「(監査を担った)農協監査士が新制度の中でも誇りを持って働ける環境整備が大事」と指摘したそうである(信毎2月11日号2面)。これを目にして無性に腹が立った。農業のことなどとんと分からぬ世襲のひよっこが、何が偉くてこんな厚顔無恥な発言をしているのだろうか。県下の農山村を渉猟して実見したことがあるのだろうか。高齢者ばかりの担い手、拡大する耕作放棄地、青少年がいない寒村などが見られるが、自民党の猫の目農政に翻弄されながら、地域の農協と農民は何とか生活を維持して頑張ってきたのも事実なのである。東京育ちにもかかわらず、選挙区を地方に選んだ世襲議員が、よくも言えたものである。ましてや、自身が公認会計士であり、後援会が日本公認会計士政治連盟から献金を受けている(Wikipedia)というではないか。農協改革案の一つに、「農協には公認会計士監査を義務付け」とあり、利害関係が大有りであり、利益誘導の立場にある人間は、このような発言を控えるのが当り前であり、控えるのが日本人本来の特質なのである。良心に恥じないのか。まったくもって怒りは収まらない。さらに、アベ訪米のための手土産として、TPP締結による対米農業市場開放に向けた、このような農業・農協改革は許すことはできない(これ参照)。自分がその手先として指嗾していることが分からないのか。次期参院選では落選してもらわなければならない。その改革で日本農業の再生ができるのか、是非とも伺いたいものである。自分の人生よりも、農業の歴史の方が圧倒的に長いということが分からないのだろうか。無論、農協のあり方が全く正しいとは思わないが、永年、貧窮の中から協同の精神でもって先人が築き上げた農協をかくも強奪して破壊していい筈はないだろう。永久に忘れられた国会議員(日本人)にしたいものである。

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2015年2月 8日 (日)

鯛は頭から腐る

33191508  満州事変(1931.9)の前後に、当時の東京帝国大学の意識調査が行われている。事変前のそれでは、学生の88%が満蒙のための武力行使を正当であると答えている。また、事変後のそれでも、九割の学生が満蒙を日本の生命線と見做し、武力行使を容認している(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』p260~263、他)。ちなみに、契機となる柳条湖事件が関東軍総意の謀略であることは歴史的事実と証明されている。軍部の独走を支える人々がいたのであり、日露戦争前の1903年には、帝大七教授事件において、桂太郎内閣に対露主戦論を意見具申していたのである。侵略戦争の意識は醸成していたのである。日露戦争の負債は厖大であり、三国干渉への反感だけでなく、中国・朝鮮に対する差別意識は言葉として人口に膾炙していたのである。だから、むしろ中国に対する懲罰として侵略戦争を至当と考えていたのである。翻って、今日のアベ首相が、「罪を償わせる」としていきり立って宣戦布告するという危うい時代が到来しているのである。政治家のほぼ全員が対テロ戦争に賛同しており、財界も司法も学会もマスコミも、雪崩を打っている状況である。政党政治の腐敗、財閥の支配、軍閥の跳梁を批判し、農山漁村の疲弊の救済を掲げた皇道派は、主として農村の兵士を部下とする隊付(青年)将校であった。彼らは幕僚層に対して批判的であって、統制派に敗れて、より拡大した日中戦争への契機となっている。こうした歴史的経緯を見てみると、当時の日本の支配階級やエリート層が侵略戦争を先導したのである。彼らの責任を追求してゆくことが歴史の研究であるが、それが喫緊の課題である。地方とは無縁の、都会出身の世襲議員である遼東の豕(いのこ)に政治を任せていてよいのだろうか。彼らは、敗戦直前においても、和平派にせよ戦争継続派にせよ、「国民の生命と生活ということは、ほとんどぬけおちていた」(改訂新版『日本の歴史7』ほるぷ出版、p217)のである。

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2015年2月 3日 (火)

飛んで火に入る冬の虫

33191505  イスラム国邦人事件の結末は、大方の予想通りとなってしまった。第一に、日本は対テロ戦争に参戦したということである(これを参照)。少なくとも、イスラム国は日本を名指しで敵国と断定し、日本人を標的にするテロ宣言をしているのである。この要因は、1月の中東歴訪が原因であることは間違いない。今後、安保法制の構築に突き進むことが予想される。米英の帝国主義でさえ育成して手を焼いている事柄に、イスラム教徒の、日本に対する同情と好意を無為にしてまでテロ戦争に参戦することは、これまでの中東親善外交を根絶するものである。アベは、日本人の生命を守るのではなく、テロの標的として国際社会と日本社会に投げ出したのである。しかしながら、日本政府に具体策がある訳でもなく、米英とその他の友好国頼みしかないのである。むしろ、アメリカは日本が参戦することに仕向けているように思われるのである。第二に、中東諸国への2億ドル支援というバラ撒きをした上で、軍産複合体の幹部連中を引き連れてイスラエル訪問することは、イスラム国を刺激したことは間違いが無い。彼らがそう言っていることなのである。これを「人道支援」だとか言い訳をしても無駄である。カネに人道支援も軍事支援もないのである。これを鴨ネギというのである。アメリカとイスラエルの思惑通りである。多くの人は気付いていないことだが、中東諸国は、第二次大戦以降、負け続けているのである。中東戦争、パレスチナ問題、イラク戦争などである。だからといって、イスラム国の残虐行為を肯定する者ではないが、どれだけ多くのイスラム教徒が殺戮されているかは歴史の真実として知っておいてよい。戦争とは、究極、人殺しなのである。だからこそ、戦争の体験者達は戦争を忌避し、平和を唱えているのである。以上が、「積極的平和主義」の正体である。日本政府は、原発・兵器の「死の商人」に舵を切っているのである。アベコベニクスの成否は、原発(=核兵器)や軍事力と戦費の増大にしか途はなくなったのである。アベの自信のない無表情や、目を伏せて官僚や補佐官の文書を読み上げるしかない姿は、権力にしがみつく哀れな人間にも見える。彼らにとって神輿は軽いほどよいのであるが、国民にとっては堪ったものではないのである(いつ政権を投げ出すかだけが楽しみである。一度あったことは二度あるのである)。

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