家永三郎のこと
『改訂新版 日本の歴史6』(ほるぷ出版、1987年)の編集者である家永三郎に見(まみ)えたのは、東京教育大の受験会場であった。トレードマークの丸メガネをしていて、教科書裁判中でもあったので直ぐに視認できた。それも志願の理由の一つであった。テキパキと入試業務をこなし、その行動に無駄がなかった。この監修本のどの部分が彼の記述なのか不明であるが(p11の黒羽清隆の署名があるのみ)、歴史学者として、自らの戦争責任を問い直す気概が感じられる出版本である。特徴としては、中国・朝鮮人民の闘いや沖縄の人々の暮らし、教育界の事件にも紙幅を割いていることである。支配階級の人物を描出して事足れりとする英雄史観には、げんなりする。そのような歴史は、歴史総体を把握することでもないし、戯画に過ぎない。歴史に英雄など存在しないのである。第二の特徴は、差別排外主義に論及していることである。「日本をして、中国との15年間の(侵略)戦争にかりたてたものは、(このような)中国人にたいする軽蔑であった」(p198)という件(くだり)があるが、自殺した芥川竜之介が中国(人)に驚嘆した一方(p67)、軍事大国化する事態に危惧を覚える一面はあったとはいえ(p20)、夏目漱石を始めとする多くの日本人が中国・朝鮮人を侮蔑していたのである。それならば、その淵源は何なのだろうか。そのことは、御真影秘話と川井訓導事件という事例(p105~112)が暗示している。明治天皇の「崩御」や乃木の殉死に対して、西田幾多郎や森鴎外も感動しているのである(p28)が、謂うならば、明治の維新政府が便乗した天皇制の問題である(続く)。
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