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2015年1月

2015年1月21日 (水)

「長(州)の陸軍」

32054684  貧窮していた農村が日本型ファシズムの本拠であるという見解は、到底承服しがたい。なぜならば、そこには連綿と続く農民運動があったからである。農民運動や労働運動の中に侵略戦争の原因を見出してはならないのである。近代の総力戦を遂行するためには、国家による扇動・宣伝・洗脳が必要不可欠である。だからと言って、農民や労働者の戦争責任が全く無いということはできないが、彼らの選択は、あくまでも受動的選択に過ぎない。このことは当り前といえば当り前であるが、中には、人の心が戦争を引き起すという間違った観念を持つ者が多いのである。大正年間が終了して、田中義一が組閣すると、早速、積極外交を展開し出している。田中義一と言えば、山県有朋の腹心の部下であり、同じ長州閥である。1905年には、山県の指示によって国防方針私案を提出して、陸軍の二個師団増設要求を突きつけて倒閣に導いた張本人である。この時行使したのは、山県の画策した軍部大臣現役武官制である。田中は外相を兼任し、山東出兵を強行して東方会議を開催する。その綱領は、満蒙の利権を堂々と主張したものである。「不干渉」と「協調」の幣原外交を放擲して、中国政策を真逆に転換したのである。それは、「日本が、中国革命(中国の近代的統一)の敵対者になった」(ほるぷ出版版『日本の歴史 6』p202)歴史的瞬間であった。ために、「対支不干渉」のスローガンまで進化した民衆運動は統一の道を閉ざされた。また、田中は、勅令を利用して治安維持法を改悪した。「国体の変革」条項を抽出して思想そのものまでも弾圧したのである。ために、反対した共産党は壊滅し、山本宣治は右翼に刺殺された。「十五年戦争」どころの話ではない。陸軍は軍隊としてその存在理由(raison d'être)を中国侵略に見出していたのである。一つは、軍人・軍隊は常にその理由を模索するということである。単に、軍隊が中国侵略したということではなく、国家中枢を掌握することによって、己の価値を見出そうと模索していたのである。その代表格が、田中義一であり、山県有朋の長州閥である。これらのことは、決して戦前の政治に限ったことではないのである。

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2015年1月16日 (金)

家永三郎のこと

32882332  『改訂新版 日本の歴史6』(ほるぷ出版、1987年)の編集者である家永三郎に見(まみ)えたのは、東京教育大の受験会場であった。トレードマークの丸メガネをしていて、教科書裁判中でもあったので直ぐに視認できた。それも志願の理由の一つであった。テキパキと入試業務をこなし、その行動に無駄がなかった。この監修本のどの部分が彼の記述なのか不明であるが(p11の黒羽清隆の署名があるのみ)、歴史学者として、自らの戦争責任を問い直す気概が感じられる出版本である。特徴としては、中国・朝鮮人民の闘いや沖縄の人々の暮らし、教育界の事件にも紙幅を割いていることである。支配階級の人物を描出して事足れりとする英雄史観には、げんなりする。そのような歴史は、歴史総体を把握することでもないし、戯画に過ぎない。歴史に英雄など存在しないのである。第二の特徴は、差別排外主義に論及していることである。「日本をして、中国との15年間の(侵略)戦争にかりたてたものは、(このような)中国人にたいする軽蔑であった」(p198)という件(くだり)があるが、自殺した芥川竜之介が中国(人)に驚嘆した一方(p67)、軍事大国化する事態に危惧を覚える一面はあったとはいえ(p20)、夏目漱石を始めとする多くの日本人が中国・朝鮮人を侮蔑していたのである。それならば、その淵源は何なのだろうか。そのことは、御真影秘話川井訓導事件という事例(p105~112)が暗示している。明治天皇の「崩御」や乃木の殉死に対して、西田幾多郎や森鴎外も感動しているのである(p28)が、謂うならば、明治の維新政府が便乗した天皇制の問題である(続く)。

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2015年1月 1日 (木)

負けないことの希望

2015   未(ひつじ)年である。隠忍自重の新年になるのだろうか。読書や雑用などで過ごしながら、少年時代の幸福な時・空間が懐かしく感じるのみである。生活感もない空虚な歌詞が飛び交い、上滑りの感動に現を抜かす、恒例の紅白歌合戦を一瞥して、この空虚な表情や雰囲気は、あの鬱の時代に似ていないのだろうか。サザンも長渕も中島も軍門に下ったかと長嘆息するのみである。あの時代の潮流は、ひたひたと、そして最後にはあの大津波のように押し寄せようとしている。一体、どうしてしまったのだろうか。年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。隔世の感である。自分がどうかしているのだろうか。年が改まったとて、明日からは日々の生活が開始する。そうした何の代わり映えがしない心境を、小林一茶は次のように詠んでいる。

 元日も別条のなき屑屋哉

 目出度さもちう位也おらが春

 一茶のように、それでも人は生きてゆかねばならない。少しづつ準備を始めている。負けないことに希望をつないで・・・。過疎・絶滅危惧種のブログですが、本年も宜しくお願い致します。

 

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