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2014年12月

2014年12月28日 (日)

都市の憂鬱

31980796  ドイツの詩人・ハイネは、「人々は都市に死ぬためにやって来るらしい」と表現しているのを、何かの本で記憶している。いろいろな歴史書や歴史解説本を読むと、大抵はガッカリする。つまらないからである。今では、面白くない記述でもそれを読み続ける辛さに慣れたことであるが、毎度のことながら辟易する。東大・一ツ橋や早・慶では、今やほとんどは東京都(または関東圏)出身で占められいるのではないか(約8割らしい)。歴史記述の嚆矢は、原始・古代から、貴族・武将から、幕末維新志士から、政治家・軍人からと相場は決まっている。入試のとき必死に覚えた山川版『日本史』には、嫌気が差していたものである。そして今でも、屋上屋を架する歴史書が上梓され続けているのである。馬鹿げている。そんなものを読んでも日本の歴史がわかる筈がない。フィールドワークもせずに研究室に閉じこもり、一部の歴史上人物や史料を渉猟しようが、大半の日本人が何を考え、どのように生活していたのかは分かりはしない。柳田・宮本などの民俗学、郷土史研究、網野史学などの地道な研究があるにも拘らず(何れも地方出身の学者である)、上記のような歴史学が一向に衰えを見せない。見せないどころか、それが歴史学会の常道らしい。『朝日百科 日本の歴史 11 近代Ⅱ』(1989年、朝日新聞社)を精読しているのだが、これは比較的面白い。図表や図会、統計や地図、写真や絵画が豊富で、当時の世情を想像するに難くない。ネット時代の今日にあっては、このような本は今後出版されることはないだろう。チマチマとした歴史学が研究され続けるのだろう。景気回復(→戦争)を願う都市の声をテレビが拾い、面白くもないお笑い芸人やジャニーズとAKBの占有が煩わしい。新聞でも、東京の情報と動向が満載である。鬱陶しい。このような異常な事態を都市の人々はどう見ているのだろうか。

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2014年12月23日 (火)

蜘蛛の糸

31599483  100年前の1914年(大正3年)は、第一次世界大戦が勃発し、日本は強行に参戦し、ドイツ権益を奪取して中国侵略の足掛かりを掴んだ年であった。翌年、対華21か条を要求して対中・アジア侵略を開始し始めたのである。日露戦争後、10年程しか経過していない時期である。三国干渉によって臥薪嘗胆を強いられ、勝利したはずであった日露戦争の対価(戦争賠償金)を一銭も取れなかったために、日比谷焼打ち事件が生起している。しかし、この度の世界大戦では、漁夫の利を得たのであるから、マスコミと反動的な「群衆」は喝采の支持をしたのである。大正時代は、都市文化が成立し、大衆の時代と言われている。人口6000万前後の内、農業人口は約半分も残存しており、その後、何故に侵略戦争に至り占めたのかを究明するためには、農民・農村問題が不可欠な課題であろう。1930年の昭和・農業恐慌は、農村不況を深刻化し、米・繭価は惨落して農村は疲弊した。負債は激増し、青田刈りや娘の身売りや欠食児童が大量に発生したのである。必然的に小作争議は、大正期の中・富農層のものから貧農層が主役となって激増するのである。中村正則は、昭和7年が「農村ファシズム形成の重要な転機」であると提起している(「日本の歴史29 労働者と農民」小学館、p335)。大恐慌下の農村救済請願運動は、他方では農民戦線の四分五裂に失望しながら、農本主義的性格を濃厚に帯びて、反都会主義・反文明主義・反財閥主義の立場から農村ファシズムを推し進めたのである。解散前に成立した地方創生関連2法案の狙いを暴露しなければならない。今次の衆院選挙結果を精査すれば、都市は自公支持の金城湯池になってはいないだろうか。東京選挙区はほぼ独占状態である。都市と地方を対立させ、地方をも召し上げて改憲・軍事化の目論見が透けて見えるのは杞憂だろうか(つづく)。

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2014年12月15日 (月)

嘘つきは安倍の始まり

4418bn08713240a  今回の抜き打ち的な衆院選挙の結果は、大方の予想通りになった。ということは、最低投票率や政権与党の支持票数などを勘案すれば、信認というよりは、否認というべきであろう。信認ならば、議席数が伸びるはずである。旧来の自・公の支持層の投票行動の反映であり、野党や無党派層の支持は皆無に近い。700億円も費やしたにも拘らず、何も変わらない無駄な選挙であったのである。とは言え、何の成果もなく、重層的に積算される課題に何ら対処できない政権ゆえに、愛国心を恃む反動を強めるのは間違いない。それ故、より脆弱な政権となることは必至である。一方の野党にしても、支持するに足る十分な政党になっていないのであるから、政権側の「戦争国家(景気回復)、この道しかない」のである。この政治的な潮流は、大正時代をより考察すれば鮮明となるだろう。震災、政党の腐敗、右翼の台頭、物価高騰、出兵、秘密法(治安維持法)、社会運動の興隆と分裂などである。それが昭和になって、金融恐慌や農業恐慌に襲われて十五年戦争に突入することとなったのである。歴史を紐解けば、日本経済は(他国の)戦争によって経済を回復し繁栄したのである。これは歴史の教科書には書いていないし、この事実を誰もが気がついていないし無視している。朝鮮戦争、ベトナム戦争然りである。言い訳として、戦後平和憲法が存在したからこそ日本は経済的繁栄を謳歌したのであるなどと、のたまう人士までいるのである。かなり古い、大正デモクラシーの論考が載っているこの歴史シリーズには、労働運動、農民運動、部落解放運動などの社会運動の隆盛に伴って、「権力をむやみと恐れなくなった」(p90)大衆の階級的自覚を青地晨は指摘している。が、頭(知識層)は民本主義なのであった。民本主義とは、主権の所在を不問にしたままの議会主義である。「議会外的な勢力が国政に掣肘を加えることを排撃する」(p101、神島二郎)思潮である。絶対的貧困にある大正時代の労働者・農民などに応えるものではなかったのである(つづく)。

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