神の恩寵
著者の大井氏については、『「痴呆老人」は何を見ているか』を読んで以来、記憶に留めていたが、歯科治療中に、偶々、週刊文春を開いて池澤夏樹の読書日記に紹介されていたので新刊本を手に取ってみた。人の病・痛・老・死とは健常者にはとても分かりにくい。故に、病人や老人とは全く別世界に生きているように思われる。否、それだけでなく、ともすれば支配・被支配の構造さえ作り上げてしまうことがある。特に、認知症の老人たちは、家庭で孤立し、人間関係を切断され、役割を喪失して、「だるい」、「具合悪い」と愁訴することが多い。そして、筆者が行き着いた答えは、「認知症は、終末期における適応の一様態と見なすことも可能である」(p195)ということである。何度も指摘しているが、認知症は「病気」と断定することはできない。病気と断定することによって、差別化が進行するのである。人は、自己の経験の記憶に基づいて自らの意味の世界に生きているのである(p22、p23)。だから、病人や老人には、共感して、彼らの言辞の中に(大井氏にとっては詩ということだろう)読み解く「パスワード」を発見するのが医療や介護の従事者には必要となるのである(p28)。その資質は一朝一夕では身に付かない。経験の引き出しも必要だろう。共感する想像力も必要だろう。コミュニケーション能力も必要だろう。看取り医として老人たちの幸せと悲哀に接した著者は、彼らの詩歌の中にも神の恩寵(p54、p186)を感じているのである。
しかしながら、以上のこととは正反対の人が、この国を領導しているのであるが、この軍国主義の病からは何の詩歌も生れていない。
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