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2014年5月

2014年5月21日 (水)

解釈改憲=憲法改悪

32935402_2  前回の投稿において、解釈改憲=換骨奪胎のタイトルであるが、換骨奪胎の意を取り違えたようである。本来の意味は、「古人の詩文の発想・形式などを踏襲しながら,独自の作品を作り上げること。また,他人の作品の焼き直しの意にも用いる」(大辞林第三版)という、いわゆる本歌取りというような意味であって、悪い意味ではないらしい。正確には、めちゃめちゃになるという意の「乱離骨灰」というべきか。いずれにしても、彼のやり口は、内閣府が「国権の最高機関」となって主導し、国家改造をしようとするものなのである。この手法は戦前のやり口と類似しており、目的は同一である。解釈改憲という言葉に誤魔化されてはならないのである。憲法の解釈は様々にあろうが、唯一つの解釈を除けば、他の全ての解釈は間違いなのである。歴代内閣の憲法解釈も、時代の要請によって解釈改憲され、日本国憲法はここまで漂流して来てしまったのである。言うならば、解釈改憲とは憲法改悪そのものなのである。憲法無視は何に由来するのか。経済のグローバル化の進展によって、各国の国益がむき出しになっている現状の中で、彼ら国粋主義者は、韓国を侮蔑し、中国を敵視して、アメリカを盟主として日本の国益を確保しようとしているのは明らかである。尖閣の確保とアジア経済圏の権益を念頭において、大国・中国を牽制しているのである。したがって、「戦争は厭だ」、「解釈改憲は立憲主義に悖る」、「安倍は頭が可笑しい」などの批判だけでは、到底人民総体を説得し、動員できるものではないのである。解釈改憲によって国家改造を狙っていることを忘れてはならないのである。「日本を、取り戻す。」とはそういうことである。生命と労働力と財布を差し出し、血を流す覚悟を持て、と人民に要求しているのである。非合法の手段による彼らの要求に対して、どのように反撃いたらいいのかは言わずと知れたことである。
 と、五月雨が降り続く休日の一日、『あの介護施設にはなぜ人が集まるのか』とかいう本を読みながら、つらつらと思ったことである。一体、いつから経済はビジネスになってしまったのか。余りにも読書に勤しみすぎたので、午後は臥床して惰眠を貪った次第である。
 五月雨の空を仰ぎて不貞寝する
 憲法解釈=国家改造、と。

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2014年5月17日 (土)

解釈改憲=換骨奪胎

33072532_2  体力の低下は著しく、畑を耕しルッコラを播種するのが精一杯。頭痛と悪寒、倦怠感と腰痛に苛まされて午睡する。完全に年寄りの生活になっている。これも全てアベの責任である(笑)。息子には、嘘と放言とデタラメを弄するアベ首相にはなるな、と説教することができるようになった(笑)。日本沈没となるであろう。
 序でに、この本も読んでみたが時間の浪費であった。第一、「いちばんやさしい」とか、「思いきりおもしろく」とかいう言辞は胡散臭い。読者を愚弄している。対話形式やたとえ話があるが、興が削がれて逆に分かりにくい。全般的基調は、憲法解釈も時代と現実にあわせて変化しているという主張である。九条や憲法改悪についてもである。この本で意外に思われたことは、司法には、違憲審査権はないということであった。いわゆる「統治行為の法理」(p157、161、213)というものである。司法消極主義では、憲法の番人とは言えない。また、三権分立というが、内閣の指名や任命の裁判官が「中立」でありうるのか、という疑問を中学・公民以来持ち続けている。平和憲法から戦争憲法への解釈改憲、憲法改悪は御免だが、より良い憲法改正ならば歓迎したいが、この本の末尾にある自民党『日本国憲法改正草案』の前文を読むと、吐き気を催す。一に、無味乾燥な字句を何でも詰め込んだ悪文である。格調がない。第二に日本国民を国家に従属させている。国家主義である。第三に、現在の日本国憲法を換骨奪胎している。現今の解釈改憲と軌を一にしており、文字通りの換骨奪胎である。右翼・自民党のお里が知れる内容である。

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2014年5月13日 (火)

違憲の首相

33066477_2  表紙のイラストが、どんよりドヨドヨしている。青黒い暗雲が斜に棚引き出して、改憲の時代様相を暗示しているようにも見える。「オレ様」の安倍首相は、必ず憲法改悪を目指して猪突猛進するのである。日本国憲法を弊履の如く放擲しようとしているのである。そこで、寄る年波で鈍化した自分の頭をリフレッシュするために、開いた本がこれである。法学については、大学で尊属殺人事件の判例研究を受講しただけで、法学総体としては、中学の公民程度の知識しかないのであるが、念のために、通読してみたのである。なるほど、近現代の立憲主義に添った内容であった。権力者は、憲法に記されていないことをしてはならないということである(権力乱用の抑止のため。p7、239)。国会答弁において、立憲主義は、「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と披瀝して、歴史にも無知であることが暴露されたのだが(2月14日)、まあ、この方の発言は、嘘と放言とデタラメに充満しているから驚きもしないが、このような輩が権力を掌握したら、日本も沈没すること必定であろう。「動静」を見ると、毎日、碌でもないお友だちや「有識者」という取り巻きと懇談したり、何の法的根拠のない私的な諮問会議に出席しているだけでなく、ゴルフをしたり、毎晩のように宴会をして遊興している。それも税金を使って。警察権力に対して、「税金ドロボー」と悪罵を投げつけると、彼らは痛く傷つくのであるが、この方は馬耳東風であろう。憲法の明文化していること以外のことはしてはならないのであり(集団的自衛権の行使など企図してはならないのであり、できるわけがない)、国民(人民)主権のことなど範疇にないのである。内閣府の長が憲法改悪の音頭を取ってどうする。特別国家公務員なんだろう(99条違反)。このようにまともに考えれば、彼のやること為すことだけでなく、存在そのものが「日本国憲法」違反ではないか(違憲の選挙で選出されている。小選挙区制の選挙制度も違憲の疑いが濃い。自民党の支持も3割に満たない)。ドイツのメルケル首相も、共同記者会見において、文書を俯読する姿を見て呆れかえっていたのである。

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2014年5月 7日 (水)

悪弊を絶つ

 33029189_3 若月俊一の偉業はよく知られている。信州の農村医療に挺身した人物である。この本の中において、医療は誰のものであるのか、医療の主体は誰なのか、ということが鋭角的に展開されている。若月思想(若月イズム)の本質は、ヒューマニズムと民主主義と協同の三つであるという言葉に収斂されている(p73)。佐久総合病院の役割と規模が大きくなればなるほど、それだけ原点に回帰する必要は増しているということである。
 息子は帰宅すると、おもむろに「白文帳」なるものを取り出して、毎日、漢字練習をしている。これは信州国語教育の悪弊の一つであるが、早期に廃止してもらいたい。漢字は本来文脈の中で理解し、記銘していくものであるが、この作業は、わざわざ国語を嫌うことを誘引してしまっている。特に、勉学が苦手の生徒諸君には、この漢字練習は難行であり、苦役でしかない。自分も小学生の時に宿題として課せられて閉口したことを記憶しているが、何の役には立っていない。むしろ、中村先生の読み聞かせ授業が契機で、その後、濫読に邁進したことが自分の国語力の基盤形成となっている。また、この苦役のために字が乱雑になるばかりか、時間を取られて、他の教科にも悪影響を与えている。さらに、漢字の意味と用法を理解しないものだから、国語表現力にも悪影響を来たしている。これと類比していることが日本の政治にも実行されようとしている。違憲(状態)の選挙で選ばれた首相や閣僚が、憲法を遵守しなければならない義務を放擲して、憲法違反を率先しようとしているのである。嘘と放言ばかりの、この内閣による集団的自衛権の容認・行使のことである。この二つの反知性主義を截然と断罪しなければならない。その悪影響は計り知れない。あの津波のように、一切合財を飲み込んで破壊してしまうのである。

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