大杉栄 3話
このところ、『日本の名著 大杉栄』を読んでいるのだが、ハッキリ言って陰鬱である。解説は多田道太郎であるが、これは読む価値がある(多田のことは知らないが、娘の多田瑶子・反権力弁護士のことは多少は知っている。話したことはないが、遇ったことはある。嘱望されていたが、29歳の若さで早世して残念な思いである)。大杉を論じることは、非常な困難なことである。これともあれとも解釈できる。多田は、解説の冒頭で、「無知な読者が大杉の最良の読者である」(p7)と繰り返している。しかしながら、これには留保が必要である。大杉の主観主義は、無知な読者にどんな契機を与えるだろうか。大杉は、賀川豊彦に思想を問われて、「individualistic syndicalistic anarchist」 と応えたという。個人が労働組合を利用して国家を撃つ、という思想に受けとめられかねない。それは、政府への関与・迎合かテロリストになるかの二つの途しかないであろう。そして、大杉の途は後者を辿り、自滅したとしか思えない。換言すれば、右翼や国家主義者との親和性があるということである。彼の「自叙伝」を精査すると、それが随所に垣間見られる。自叙伝を読み解くことはとても退屈である。何故彼が社会主義者となり、アナーキストになったのか詳らかではない。幼少期や恋愛事件やカネの無心話ばかりで冗長である。多田は、大杉を「生と反逆の思想家」として規定しているが、極論すれば、「生の拡充」と「精神の自由」のためならどんな思想でもいいのである。だから、片っ端から吉野作造を始めとする人士や他の思想や労働運動を非難している(「最近労働運動批判」「組合帝国主義」など参照)。「政府がどんなむちゃを僕らにしようとも、僕らはそれを政府当然の仕事として受けいれる。・・・けれどもこのいわゆる進歩思想家らに対しては、民衆が瞞されやすいだけ、それだけ僕らは黙っていることはできない。まず、彼らから叩き倒すんだ」(「政府の道具ども」、p234)という発言は、到底承服しがたい。これは、幾重にも反動的で右翼的である。大杉の「生の闘争」という中に、「美はただ乱調にある」という著名な叙述がある(p125)。確かに、大杉の筆鋒は本質を衝くことが多々あったが(「奴隷根性論」など)、「冬の時代」といわれるその時代において、社会運動や労働運動にどれだけの貢献したのだろうか、その人生と最期はどうなのか、ということを考慮すれば、思想家としての意義はあるだろうが、本当に革命家としての人生であったのかが疑わしく思われるのである(つづく)。
大杉については他の問題提起もあるのだが、このブログでは、しばらく更新アップは停止とする。XPのサポート終了に付き、安全対策を講じた後になる。第二次安倍政権は、ますます反動を極め、民衆にとって暗澹とした日々になるだろう。「軍国主義者」であり、「人間の屑」であると自称する人間が、私的諮問機関や閣議決定を弄して右翼・親米政策を推進してゆくことになるが、民衆にとって、自滅への伴となるか、それとも社会運動隆盛の手掛かりを掴めるかの正念場と言えるだろう。石川啄木の「時代閉塞の現状」は、それに対する多くの示唆を与えるのではないだろうか。リハビリ体操をしてから「明日の考察」をしてみるとしようか(笑)。暫らく、御免。
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