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2014年3月17日 (月)

新しい介護とは

33035205  「介護業界の風雲児」とも称される、賛否両論の三好氏の介護観は、今では現場から賞賛され、業界から承認されようとしている。旧版は圧倒的に支持されて、10年経た現在、全面改訂版が上梓されたので、早速紐解いてみた。氏の介護観が集大成され、医療職の役割に対して、介護職のそれがより明確に提示されてきている(例えば、p38~39、50~51)。基本にあるものは、「介護は生活・関係づくり」というごく当り前の介護観である。介護の教科書によくある「受容」や「自己決定」に対しても、「共同決定」の意義に触れられている。高齢者がふと洩らす言葉群に、「こんなこと(自分の体験・経験)を子供に話しても、またそんな話を繰り返して、と笑われるから、子供のいうことをハイハイと聞くしかない」、「もう死にたい、生きていても仕方ないから」、「私たちは嫁して姑たちに虐げられたが、今の時代は反対だ。嫁の方が強いから黙っている」と耳にすることがよくある。これらの声で、高齢者は社会における生きづらさや主体の崩壊を表白しているのである。そうしたケアまでをも視野に入れているのが「共同決定」である(「生きづらさを共有するケア」の必要性の提起。p303)。お年寄りの「行為のしくみの一部に介護者が関わるのが本当の介助」(p69)であると言われている。そもそも、「介護本来の役目は、お年寄りの主体性を引き出して生活行為へ導くこと」(p71)である。動作の介助から行為の介助へと問題提起しているのである。もう一つ得心したのは、近年、三大介護(食事、排泄、入浴)は古いと主張する学者の意見に対するアンチテーゼである。それは、三大介護はいつまでも新しいとする立場である。三大介護こそ、最大のコミュニケーションであり、それがしっかりできていないからこそ、人間の尊厳が守られていないケアになっているというのである。人はマニュアルが好きであり、マニュアルに取り込まれてマニュアルによって支配される。介護従事者は決してこの逆説に捕縛されてはならないのである。最後に、三好氏の奮闘によって、認知症が「老いた自分との関係障害」という考えは、介護業界では一般的に普及してきている。認知症を医学的に「脳の病気」と診断すれば、家族も納得し、医療的な処置がなされる訳であるが、本人はそれで安心した生活が保証される訳でもなく、寧ろ、その結果を介護業界に丸投げされるのが一般的である。いわば医療の下請けにされている介護である。新しい介護とは何か。それは現実の介護実践の中から体系化されるものであり、医療・看護とは全く異なる視点の分野なのである。この本の「はじめに」にあるように、「よい介護はいつも新しい」という三好氏の言葉は至言である。

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