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2014年3月

2014年3月25日 (火)

一戦中派の闘いの記録

33040688  母親の話では、父方の伯父は、ボルネオ島からの復員であったが、自宅前に立ち尽くした姿が骨皮筋右衛門だったということだ。伯父は、戦中派というより戦前派というほどの壮年の兵卒だった。死線を掻い潜って復員して来たのだが、伯父からは戦争体験を聞いた試しは一度もない。その後の人生は、農民としてよく働き、ひたすら身内や内輪の心配をしていたそうだ。家宅を訪れると必ず、自分が育てた野菜や果物で歓待してくれたものである。その伯父も亡くなって十年以上経過している。戦後70年ほどにもなるのだから、戦争体験者は、爾後の十年以内には全て黄泉の国に旅立ち、その時代の歴史を証言する者は誰もいなくなるだろう。違憲の集団的自衛権行使(集団自殺強要)を画策するアベ様の政治情勢にあっては、彼らの生き証言を残しておくことは焦眉の急務の一つなのである。この本は、「戦中と戦後の激動期を生きた一人の教師の物語」であり、子息による「父へのレクイエム」である(p7)。教え子を戦場に送って戦死させた教師が己を反省し、農村に留まって反戦平和と民主主義のために闘った記録である。「有機的知識人」(グラムシ)とはかくあるべしという見本のような人生記録である。信州の農山村には、彼の薫陶を受けた門下生が多く生き残っているが、他方の信濃教育会(信教)は、未だに満蒙開拓青少年義勇軍を率先して送出した戦争責任から逃避しているばかりか、戦後になっても、軍政部と一体となって県教組を弾圧して闘う教師をパージしているのである(1949年ケリー旋風)。さらに翌年には、組合に介入した信教(=県教委)は、21人の教師を職場から追放したのである(レッドパージ)。組合活動家であった当の島田武雄は、このパージで問答無用に長野女専を解雇されたのである。しかしながら、それ以降の農文協講師としての文化活動や青年団活動こそ彼の真骨頂であると思う。そこから、60年反安保闘争の一大拠点が長野県に形成されたからである(『青年たちの六十年安保』新津新生、川辺書林)。

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2014年3月17日 (月)

新しい介護とは

33035205  「介護業界の風雲児」とも称される、賛否両論の三好氏の介護観は、今では現場から賞賛され、業界から承認されようとしている。旧版は圧倒的に支持されて、10年経た現在、全面改訂版が上梓されたので、早速紐解いてみた。氏の介護観が集大成され、医療職の役割に対して、介護職のそれがより明確に提示されてきている(例えば、p38~39、50~51)。基本にあるものは、「介護は生活・関係づくり」というごく当り前の介護観である。介護の教科書によくある「受容」や「自己決定」に対しても、「共同決定」の意義に触れられている。高齢者がふと洩らす言葉群に、「こんなこと(自分の体験・経験)を子供に話しても、またそんな話を繰り返して、と笑われるから、子供のいうことをハイハイと聞くしかない」、「もう死にたい、生きていても仕方ないから」、「私たちは嫁して姑たちに虐げられたが、今の時代は反対だ。嫁の方が強いから黙っている」と耳にすることがよくある。これらの声で、高齢者は社会における生きづらさや主体の崩壊を表白しているのである。そうしたケアまでをも視野に入れているのが「共同決定」である(「生きづらさを共有するケア」の必要性の提起。p303)。お年寄りの「行為のしくみの一部に介護者が関わるのが本当の介助」(p69)であると言われている。そもそも、「介護本来の役目は、お年寄りの主体性を引き出して生活行為へ導くこと」(p71)である。動作の介助から行為の介助へと問題提起しているのである。もう一つ得心したのは、近年、三大介護(食事、排泄、入浴)は古いと主張する学者の意見に対するアンチテーゼである。それは、三大介護はいつまでも新しいとする立場である。三大介護こそ、最大のコミュニケーションであり、それがしっかりできていないからこそ、人間の尊厳が守られていないケアになっているというのである。人はマニュアルが好きであり、マニュアルに取り込まれてマニュアルによって支配される。介護従事者は決してこの逆説に捕縛されてはならないのである。最後に、三好氏の奮闘によって、認知症が「老いた自分との関係障害」という考えは、介護業界では一般的に普及してきている。認知症を医学的に「脳の病気」と診断すれば、家族も納得し、医療的な処置がなされる訳であるが、本人はそれで安心した生活が保証される訳でもなく、寧ろ、その結果を介護業界に丸投げされるのが一般的である。いわば医療の下請けにされている介護である。新しい介護とは何か。それは現実の介護実践の中から体系化されるものであり、医療・看護とは全く異なる視点の分野なのである。この本の「はじめに」にあるように、「よい介護はいつも新しい」という三好氏の言葉は至言である。

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2014年3月 1日 (土)

『大杉栄伝』その2

32697796 では、大杉栄の末期はどうであったか。凱旋帰国に出迎えた人々は700名にも登ったということである(p245)。異例の出迎えである。折りしも発生した関東大震災のドサクサ紛れに、朝鮮・中国人や労働者たちが謀殺されたように、大杉もまた当局によって虐殺されたのである。大逆事件では、幸徳らは形なりとも法的に処刑されているのだが、これは問答無用であった。集団リンチにより肋骨をほとんど折られ、瀕死の状態から絞殺され、全裸にされた挙句に、畳表でグルグル巻きにされて古井戸に投げ込まれたというのである。おまけに、吸殻を投げ込まれ瓦礫を詰め込まれて証拠隠滅を図られたということである(p257~258)。国家を否定し、無政府主義を掲げる者の無残な最期を遂げたのである。大杉は、「生の無償性」(=相互扶助+自我の力、p105)とその拡充を訴える。奴隷根性をあくまでも峻拒する(p107)。電車事件によってアナーキストに変身し、ストライキによる直接行動論をぶつ。1000万人にも及ぶ民衆暴動である米騒動を間近に見た大杉は、民衆芸術論に依拠しながら蜂起としてのストライキを夢見る。無政府主義の即時実現を求め(p215)、「あらゆる権威にたいする叛逆、本当の生の本能的生長」を表明し、社会革命の一戦士として名乗りをあげる(p45)。これはもう、国家権力にとっては容赦できることではなかったのである。関東大震災は治安維持法成立の契機ともなり、「帝国日本」は、社会運動家への世論の反感も加わって侵略戦争に突入していくのである。紛うことなく、日本人はこうした歴史を繰り返すであろう。否、より変質した形で全面的な破滅になるかもしれないのである。後顧してみれば、この本の副題に、「永遠の」という形容語句が付く、深遠な含蓄が窺い知れたものである。

 桃の研究も開始してみました。余談ですが、4月に実施される長野マラソンは、美しい北信濃の自然風景の中で催され、当然のごとく、花咲く桃畑の中をランニングするコースです。

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