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2014年1月

2014年1月31日 (金)

挑戦!ハングル学習

07126025  ハングルを学び始めたのは、画像にある、1992年6月発行の図書(①)を購入した1992年もしくは93年頃のことと想像される。とりあえず、ハングル文字を読むことができ、簡単な文を読み解くに四苦八苦する程度のレベルであったのだが、昨年よりダンボールより引っ張り出して、精励に学び直している。と同時に、イサンやトンイという韓国歴史ドラマをYou Tubeで視聴をして耳を慣らし続けている。しかし、まだまだである。語学習得には、一般に2000時間継続する必要があるとされているが、一体、どうなることやら。これ以外に、手元にあるのは、
 ②『すぐに役立つはじめてのハングル
 ③『ハングル教本 基礎から読解まで
 ④『ハングルの練習問題
 ⑤『朝鮮・韓国を知る本
の5冊で取り組んでいるが、実際に活用しているのは、①②であり、⑤は時々参照するだけである。④は暇を見つけて、③は①②を終了後取り組む予定である。これ以外に、辞書の購入を希望しているのだが、所持できていない(これこれを希望。しかし金欠で、しかも高額のため断念中。泣)。一年以内に、ある程度習得できたらお楽しみ、という具合である。
 一応、念のために、コメントしておくが、上記の学習書・参考書を推奨している訳ではない。
 ①は恐らく金容権氏による執筆・監修本で、1980年代後半から90年代の著名なハングル学習書であり、かなりの人がお世話になっている、と思う。いいのか悪いのかは分からない。決定版も上梓されているようだが、チェックしていないので改善されているのかを確かめることはできない。今やハングルの入門書は選り取り見取りであり、自分の好みで決定するのがよいだろう。〇。
 ②はオススメしない。買ってはいけない。あの当時、購入原則に反して、ついウッカリ、初版本を購入してしまったから、止むを得ず使用しているだけである。値段が張るのに反して、造作が杜撰である。間違いが多すぎるし、著者の説明が不明瞭であり、頭が悪い我々には理解し辛い。著者の言語観と文化論が半端に解説されていて、それがむしろ鬱陶しい。長所は、CD付きであることと、繰り返して慣用語句が頻出して、覚えやすいところか。×。
 ③は大学生用の読解中心で、語学学習を通して韓国を理解する助けになる。こういう学習書は、あまり出版されていないので貴重である。私的には、80年代の韓国を概括できるので、◎。
 ④は少し使いにくかったし、活用する時間もなく放置してある。しかし、書き込み式なのでしっかりと覚えてゆくのに便利である。近頃は、この種のハングル練習帳やノート等の出版物も多く、新規の物を取得した方がいい。〇。
 ⑤は朝鮮・韓国の歴史や文化を知る上では、内容が濃密である。朝鮮・韓国の基本と基底が全て分かるので、一読の価値がある。この時代における一線級の研究者や実践家が執筆している。但し、内容が古くなっているのは止むを得ない。◎
 その他、ネット利用をオススメする。差し当たり、ゴガクルハングルが取り付きやすいと思う。現代韓国については、韓国の新聞社のHPにアクセスして、より理解を深めるのが近道ではないか。

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2014年1月27日 (月)

在日コリアンの存在

32513262  図書館でヒョイと目に留まったので、嬉々として借り出した辞典である。劈頭から順次事項を読み込むのは骨が折れるが、これまた、知らないことも多く、加えて過去の在日コリアンとの出会いが想い出されて面白い。大阪市平野区に起居を始めたその頃のことが懐かしく想い出されるのである。山国生まれで育った田吾作には全くの異界に見えた在日コリアン社会が、目には斬新で、日々昂奮しながら生活していたものである。当時は全国的に指紋押捺拒否者が続出し、反外登法運動が盛んになった時期で、在日コリアンが多い猪飼野界隈や河内地方(主に東大阪・八尾)を隈なく徘徊していたものである。政治と生活が切り結んだ在日社会は、民族の息吹が感じられ、清新に目に映った。夕刻に近鉄鶴橋駅のホームに立つと、焼肉やキムチの匂いが立ち込めていて、食欲をそそったものである(だけでなく、鶴一などの焼肉店に何度も立ち寄ったものである。笑)。また、商店街の民族衣装にも清廉かつ華麗で目を奪われたものである。今から回顧すれば、よき想い出になっている。右傾化の日本人とは異なり、好奇心で魅了されたのである。右傾化する日本社会においては、在日コリアンにとっては生活や身の危険が及ぶことを認識できる日本人は少ないと思われる。現今の日本社会においては、共生社会とはいえない排外主義のナショナリズムが台頭している。既に2006年の第一次安倍内閣による教育基本法改正から始まり、東京や大阪の朝鮮学校への補助金廃止など民族差別は決してなくなっていない。というよりも、在特会や右翼が支持する安倍内閣が反動を極めている中で、それはむしろ、凶暴化していると断言してよい。右傾化とは何か。差別排外主義者どもが右翼であるのは分かりきったことであり、右傾化とはむしろ、左翼・リベラル、学者・知識人、宗教人の右傾化なのである。彼らは自分が右傾化しているとは思わないからである。日本人にそのことを反証するが在日コリアンの存在なのである。

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2014年1月15日 (水)

歴史に対する責任

32963837  最近は、このような伝記のようなものを耽読しても、その内容に信頼を置くことはしない。戦後60年以上経過したのであれば、現在も続く思念と虚像が交錯するからである。これならば、戦争直後の激白の方がそれが何たるかを理解できるからである。冒頭、昭和6年には天皇制教育が児童にも反映されていたことが分かる(p19)。故に、十五年戦争が開始されたのである。愛国美談の爆弾三勇士や青少年の勤労奉仕や民衆の提灯行列や兵士への千人針、とりわけ大本営発表などの道具立てによって戦争への総動員がなされたことは歴史的事実である。著者の場合、日中戦争の開始と知人の死によって、「プルンと一つ身震いし」(p55)、日米開戦によって涙を浮かべ(p79)、「あきらめの感覚」(p145、167)で戦時を過ごす。そして最終的敗戦には、「初めての涙」(p194)を流している(ここに嘘が交錯する)。「戦争が死に対して鈍感なものに人間を変えてしまっていた」(p112)のであるが、慢性的な敗戦の事実を知っても、批判的精神を発揮することもなく(元々そんな気概もなく)、「アナウンサーとして割り切って・・・大本営発表を疑うより失敗なく読むことの方が大事だった」(p181)のである。著者だけでなく、多くの知識人・インテリにしてそうなのである。戦争に加担し戦後に生き残った人々にある思念とは、「後ろめたさ」(p238)であり、「心やましさ」(p240)である。このような思念が続く限り、戦争に抗することはできはしない。戦争はその人の思想や生き様を腑分けする。声を挙げないことは戦争に加担することである。玉音放送後、「空が薄墨色になり、黒い切片が一面に舞っていた」(p193)という。軍と政府が証拠隠しのために機密書類を焼いていたということである。日本人らしいな、と思う。歴史に対する責任がないのは明白である。

 東京都知事選がニュースを飾りだしている。どの候補者を見ても、全く馬鹿げているとしか言いようがない。人材が払底しているばかりか、古狸や古狐の化かし合いとしか思えない。加えて、他国が関与しているようにも洞察される。一体、この国はどうなるのか。知れたことであり、国など滅びても関心はない。

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2014年1月 4日 (土)

争乱と変転の午年

Photo  例の人の年頭所感によれば、今年は集団自衛権と道徳教科化と憲法改悪への意思が明確らしい。新年早々縁起が悪い。何れにせよ、本年は争乱と変転の一年になるのは間違いない。そもそも、オドオドしているばかりで、対峙する人間を凝視できず、説得もできない人間が、仲間内では大層に威張り腐って、はしゃいで見せても、少し離れて見てみれば、誰にも相手にされない裸の王様ではお話にもならない。信念も自信も責任もないのである。この人は、コイズミと同じ様に敵前逃亡するだろう。それは嘗ての日本ではありふれた光景である。通常の歴史叙述とは異なり、薩長は裏切り者の歴史である。誰かさんが崇拝する吉田松陰だの、西郷隆盛だの、坂本竜馬だの、ブルジョア革命(明治維新)を準備した一駒の愚者に過ぎない。もっとも、西郷は靖国に合祀されていないのであるが、要するに、纏めていい加減な連中なのである。だから、英霊を崇拝しているつもりの一国の首相もまた、いい加減なのである。この人だけでなく、右翼・ナショナリストもまた、卑怯者である故、一旦緩急あれば、後塵を拝することもまた必定である。それ故、人々が彼らに不服従になるのは当り前である。本年はそういう年になるであろうことを予想しておく。そんなこんなで、明けましておめでとうございます。

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