『サンダルで歩いたアフリカ大陸』
脱穀は、息子の加勢もあって14日に終了しました。今年の稲作は、肥料過多のために難儀しました。落穂拾いの手間が甚大でした。予想通りとは言え、少しショックでした。それで、嫁はんに「人参(を掘ってきて)!」と強制されて、試し掘りをしたところ、それなりに成育していて、これなら販売できるほどの出来だな、と安堵しました。今年は、人参には集中して手間をかけたからな、という自負がありますから、それに応えてくれました。米と人参にはそれなりに拘りがあります。母親の料理に多用されていたからです。その所為なのか、この歳になっても乱視にもならず、読書が苦にならないことがあるからです。人参は、煮物や炒め物だけではなく、味噌汁(当地では「おつゆ」と呼ばれました)の具として、汁の中に必ず顔を覗かせていました。近視ということ以外、これという支障もなく、健全に近いのは母親のお陰と感謝する次第であります。
実は、この私も、普段は靴を履かずにサンダルで外出することが多い。糧を稼ぐためにも多用していた。スニーカーなどは、足が窮屈で履く気にならない。このサンダルが、「アフリカの伝統衣装だよ.誇りみたいなもんだ」と云ってもらえるとは、まんざらではないな、という思いである。この本の序章にある「等身大のアフリカの人々を見つめ、対話を重ねながら、歴史や過去を歩み直す作業」(p.ⅸ)は成功している。アフリカ研究の第一人者の開発経済学者の予想は外れ、図表や資料ばかりで訳知りのグローバリストの言辞など何の意味もない。グローバル化もしくはグローバリゼーションとは、搾取と収奪の言い換えに過ぎない。金融・投資ビジネスをアフリカにおいて許さないことがアフリカの繁栄の基礎である、と思う。米国の債務危機をはじめとして、先進諸国が軒並み経済危機に陥っている中で、それに犯されなかったことがアフリカ経済の回復を実現できた理由だからである。ポール・コリアーが「国家としてのアイデンティティー」がないとして余計な心配をするのは、本来のアフリカニズムには相応しくないのである。
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