« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月

2013年10月29日 (火)

『トンイ』のメッセージ

190pxhan_hyojoo_2  このところは、稼ぎの労働をするばかりで、読書もそっちのけで、専ら『トンイ(同伊)』をYou Tubeで視聴している。ハングルと英語の総復習でもある。『イサン』のような権力闘争の話ばかりでなく、脚本や演出、時代背景やシーンなどを丹念に1話から追っている。断然こちらの方が秀逸であるであることは相違ない。このドラマでは、いくつかのメッセージが秘匿されているが、これは追々記述してみたい。ヒロインの女優であるハン・ヒョジョ(한효주)は、これと言って眉目秀麗という程ではないが、そこらにいるような、ごく普通の佳人という感じで、悩みながらしかも初々しく演じきっているのが好感を持てる。とても内省的な性格も感じられる女性である。日本の女優は比肩するべくもなく、日本の映画・ドラマは、夾雑で卑猥で喋々しい。日本社会も日本人も、すっかり様変わりしてしまったのである。

 今月15日、山本太郎議員を除いて、衆参国会において2020年東京五輪成功決議がなされたそうである。これを知って、空恐ろしい思いがした。東北復興や原発事故・汚染水問題が解決の目処も立たないにもかかわらず、嘘と利権の東京五輪に賛成するなどということは、共産党も社民党も軍門に下ったということである。完全なる大政翼賛会である。しかしながら、闘う人士は社共主要打撃論に陥ってはならないし、自らの優越心に浸って自陣営の仲間を罵倒してばかりでは敵を利するだけである。共同戦線を結びながら、自・公連立政権打倒のために闘うべき時である。戦争はドンパチで始まるのではない。国家による戦争策動は既に始まり進行していると認識するべきである。戦争遂行のためには、まず民衆を反動的イデオロギーに染め上げなくてはならないのが総力戦の近代戦争の鉄則である。民衆は反動と闘い、生き延びなければならないということは、『トンイ』のメッセージの一つでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月18日 (金)

『サンダルで歩いたアフリカ大陸』

20131017154443  脱穀は、息子の加勢もあって14日に終了しました。今年の稲作は、肥料過多のために難儀しました。落穂拾いの手間が甚大でした。予想通りとは言え、少しショックでした。それで、嫁はんに「人参(を掘ってきて)!」と強制されて、試し掘りをしたところ、それなりに成育していて、これなら販売できるほどの出来だな、と安堵しました。今年は、人参には集中して手間をかけたからな、という自負がありますから、それに応えてくれました。米と人参にはそれなりに拘りがあります。母親の料理に多用されていたからです。その所為なのか、この歳になっても乱視にもならず、読書が苦にならないことがあるからです。人参は、煮物や炒め物だけではなく、味噌汁(当地では「おつゆ」と呼ばれました)の具として、汁の中に必ず顔を覗かせていました。近視ということ以外、これという支障もなく、健全に近いのは母親のお陰と感謝する次第であります。

32940220  実は、この私も、普段は靴を履かずにサンダルで外出することが多い。糧を稼ぐためにも多用していた。スニーカーなどは、足が窮屈で履く気にならない。このサンダルが、「アフリカの伝統衣装だよ.誇りみたいなもんだ」と云ってもらえるとは、まんざらではないな、という思いである。この本の序章にある「等身大のアフリカの人々を見つめ、対話を重ねながら、歴史や過去を歩み直す作業」(p.ⅸ)は成功している。アフリカ研究の第一人者の開発経済学者の予想は外れ、図表や資料ばかりで訳知りのグローバリストの言辞など何の意味もない。グローバル化もしくはグローバリゼーションとは、搾取と収奪の言い換えに過ぎない。金融・投資ビジネスをアフリカにおいて許さないことがアフリカの繁栄の基礎である、と思う。米国の債務危機をはじめとして、先進諸国が軒並み経済危機に陥っている中で、それに犯されなかったことがアフリカ経済の回復を実現できた理由だからである。ポール・コリアーが「国家としてのアイデンティティー」がないとして余計な心配をするのは、本来のアフリカニズムには相応しくないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月12日 (土)

田舎人の妄想

07306971  最近はテレビを全く見なくなった。大本営放送協会のニュースは洗脳ニュースになり、報道ステもよいしょ番組になり、都会中心のグルメや旅やクイズ番組になり、吉本の無芸人やジャニーズのジャリタレの番組が引きもきらない。製作者側の腐敗も止めがないほどである。尤も、こういう番組編成は政府公認の広告会社の狙いでもあり、灯台やKO大卒などの、愚かどもの所為でもある。大震災と原発事故に唯々諾々と従った民衆の「愚かさ」を見越してのことである。大災害に遭遇し、消費税を追従し、戦争挑発の国家になすがままに付き従う人々を舐めきった支配層は、一層収奪に邁進するだろう。こんなことは江戸時代にもなかった日本人の心性である。維新によって作られた日本人の奴隷根性は、敗戦を経験しても、司馬文学に人気があるという滑稽な迷信を深めたのみでである。なにが維新か、なにが坂本竜馬か。そんなものは歴史の屑篭に投げ捨てなければならないのである。薩長土肥が作り上げた天皇制国家は未だ健在であり、憲法違反の靖国参拝が首相によって「当然」と言わせている有り様である。それもこれも、有体に言えば、民衆の愚昧を託つことではなく、学者・知識人、宗教人や左翼リベラリスト等の転向によるものである。これはハッキリ宣言しておかねばならない。民主主義が選挙に狭まられる必要はない。集会やデモなどあらゆる機会を人々に提供して共通認識を拡散する必要があり、反動勢力に民衆の力を見せ付けなければならない。嘆いている暇は全く無い。国家を頼りにして、国家から援助を貰っている輩を丸裸にしなければならないのである。今、国家に非妥協に立ち向かっている具体的な人々は、沖縄と三里塚とそれらと共に闘う人々しかいないことを理解している人は少ない。

 などと変なことを夢想している日本人がこんな田舎にもいるのである。あぁ、アフリカは余りにも遠い。彼らは貧困と内戦などを経験しながら、希望を捨てずに少しずつ前進している。人々の生きんとする弛まぬ気概に目が眩むほどである。人はやはり生き延びねばならないのである(画像のムックは、アフリカを食い物にしようという帝国主義的視点から作られた本であることは言を俟たない)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月 4日 (金)

悪魔の市場原理主義

20131002095600  稲刈りが終ってはざかけへ。こうして米本来の旨味を熟成させる。近年、はざかけによる自然乾燥の効用が見直され、元々あったこの川中島平の米作の風習が一般化しているのはいいことである。しかしながら、今年はわが家の稲は肥料の多過のためなのか激しく倒伏して、稲刈りは機械による省力化で短時間で終るが、落穂や刈り残しが多くて稲穂の拾いに追われるという有り様である。以前はスズメをはじめとした鳥たちが落穂を漁っていた記憶があるが、近年はとんとその気配も感じない。共存共栄の自然界であった状態の異変を感じる。賃金労働者ゆえの休日農業なので、未だ落穂拾いは終了していないが、それ程、寄る年波による体力の衰えと稼ぎとしての労働の疲労が身に堪え、臥床して身体の回復に執心してしまっている次第である。そんなこんなで、今年の米作の出来はどうだろうか、と寝床でつらつらと思いやる日々である。今年の半農半○の農業は終了しようとしているが、少しは複合・自然農業に近づけたのかという複雑な思いもある。まず、どんなこともあっても主食だけは食べてゆける農業へ。そして自然循環の農法へ。クダラナイ都市文化でなく、新たな歴史を刻む農業文化へと思いを馳せるのであるが、多分、この夢と希望は達成されないであろう。市場原理主義の世界的な席巻とグローバリゼーションによる絶対的な支配関係の強化は、(東北大震災と福島原発事故という)大災害を契機に多国籍資本が国家の政策決定までをも支配して食い潰してしてゆくのを現下にまざまざと視認しているからである。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »