活着から分糵へ
漸く稲の苗が活着し、分けつ期になったようである。これまで深水であったものを活着後は2~4cmの浅水にするといっても、今年度のように、漏水が激しい状態であっては、水管理が容易でない。すぐに表土露出してしまって、アタフタと水入れすることがしばしばである。表土が露出してしまうと、雑草が繁茂してしまう要因である。相変わらず、何年やっても教訓化されないままの米作りである。合間に年中行事である夏野菜の世話と梅漬けとを何とかこなすという体たらくである。
今次の参院選は行く末を決定するものだが、ほぼ大勢は決している。都議選に見られるような自・公の圧勝である。原発再稼動を推進して国民の生命と財産を侵し、TPPを推進して国内農業を破壊し、アベコベミクスによって財政赤字を極大化し、消費増税と物価上昇によって貧富の格差を増大させ、憲法改悪に向って国防軍に改変させ、ネット選挙も開始して国民を扇動するマスメディアや権力内に右翼どもが跳梁跋扈するこんな政権がなぜ支持されるだろうか。これが問題である。一つは、戦後民主主義が未だに徹底していないため、業界の圧力や未熟な人々による熱心な投票行動が、ますます人々の政治的無関心・無力感と諦念を醸成しているからである。国家権力はとても魅力的である。強制的に取り立てた(収奪した)国民の税金を無尽蔵に使用できるし、敵をも法的に(最終的には軍事的に)縛り上げることもでき、挙句の果てに名誉職を一切独占できる。国家とは十全な権力機構なのである。ここには一片の信念も良心も必要ない。否むしろ、そのようなものは余計なもの、唾棄すべきものである。だから、必然的に国家に忠実な者に国有財産を分与する。貧乏人は永遠に分与される私有財産から遠ざけられる。したがって、「世の中カネ次第」という人々の実感は、人々が貨幣経済にどっぷり漬かっているからではなく、実は国家から由来するのである。こんな風に、貧乏人(の私)は思うのである(笑)。
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