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2013年5月 1日 (水)

戸隠行

20130428142006 子どもが成長して、反抗期に真っ最中で、ほとんど親離れ(子離れ)し、これで最後の家族旅行になるかも知れない。日帰りの、大した旅行でもないが、戸隠奥社に参りました。峨々とした連峰を仰ぎ見ながら、何とか雪道を踏みしめて登りきりました。ゴールデンウィークのために、善男善女が列をなして多少興ざめの感がありましたが、杉木立を眺め、野鳥の鳴き声を耳にしながら行程を楽しめました。途次、「ダッコ、ダッコ」と泣き叫ぶ幼児を、若夫婦が窘めながら懸命に息子を励ます様子に破顔しました。こういう時期もあったなあ、という親の感慨です。岩戸伝説など信用しないけれど、人々の祈りは永世不滅だろう。修験道がそれと融合して戸隠信仰は有名になったのである。昔の農家の家々には、蚕神や秋葉神などに混じって、決まってその御札が神棚に祭られていました。唯一神ではなかったのである。キリスト教が普及しない理由の一つに、多神論の一つに参列しないことがあります。人々は自然崇拝が身近にあり、他方、キリスト教はその自然拒否と他宗批判がそれを疎外しています。唯一神論のためである。折角のキリスト教の長所が弱点に転化しているのです。例えば、旧約を新約と同列に重んじる傾向は疑問に思います。必ず日本的なキリスト教がある筈です。それは内村鑑三や賀川豊彦などによって試みられましたが、全く途絶しているといって過言ではありません。第二、第三の内村や賀川が輩出していないのです。しかし、果核は残っています(但し、両人には批判の余地もある)。三里塚闘争の委員長は戸村一作という敬虔なクリスチャンでした。また、反原発闘争を闘っているクリスチャンは多くいらっしゃいます。しかし、自分の信仰を高めることに執心しても、真の福音を人々に伝道することにクリスチャンは熱心ではありません。自己信仰に社会性を持たせない限り、永遠にキリスト教信徒は1%でしょう。プロテスタント系のキリスト教会の猛省を促したい。帰途、「そばの実」に立ち寄り、妻子は多少満足したようでした。歯ごたえがあって甘みを感じた蕎麦でした。それよりも、天麩羅が美味しかったです。

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