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2013年5月

2013年5月22日 (水)

自己本位と則天去私

20130519143458  山笑うという季語には少し時期が過ぎ、小満も過ぎて草木が繁茂し出しました。という訳で、遅まきながら田畑の耕耘(運)を致しました。セキレイやムクドリが一斉に集り出しました。その食欲たるや、耕す人間様を怖れず、至近距離まで飛来し、懸命に掘り返された虫などを啄ばみます。畑の方は相変わらず片手間で、夏野菜を栽培するのみで、雑草の茂るにまかせていますが、田んぼの方は根性を据えて取りかかります。

 本職は繁忙を極めて体力的には疲労困憊状態。やはり、齢を感じる今日この頃である。特に、足腰が弱っている。いわゆる「がに股」なので、特に右足がひどく、膝関節に負担が集中して、軟骨の擦音がしばしば聞こえる有り様である。また、趣味(特技?)の就眠が頻繁で、集計すれば、半分は寝ているのではないか。だから、ほとんど思考することもなく、散漫と生活しているに過ぎない。これが本望というべきか。益体のない世の中においては、庶民の抵抗として、漫然として暮らすのが最良なのではないか。こういう輩が権力者には一番始末が悪い。こんな心境が夏目漱石の云う自己本位か。漱石は終いには則天去私の心境に到達しているが、我執男のハシモトトオル君には、まだまだこの心境になるには程遠いことである。

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2013年5月13日 (月)

北海道考 その1

32854835  北海道の祖父は故郷を「内地」と表現していました。祖父は次男坊だったので、大正時代に北海道に赴きました。地元のしっかり者の娘を嫁に迎えて、夫婦で開拓に出向いたのでした。掘っ立て小屋同然の家の中で、少ない寝具を家族が互いに身を寄せて寝たようです。小屋には吹雪が入り込むこともあったそうです。そうして、祖父は一旗を上げ、一代を築いたようです。小豆やビートを作り、相場にも手を出して羽振りよく、新札をくれることが子供心に畏敬を感じました。母はそんな祖父母を誇りにしていたようで、信州を訪ねた祖父母を丁重に迎え、「おごっそう」(ご馳走)が飯台一杯に広げられました。母は祖父に株というヘソクリを貰いました。父は男の沽券としてそれを嫌っていたようで、母の北海道行きに反対しました。母は結婚以来約二十何年ぶりの里帰りでした。自分が調理を担当するということで、母は兄を伴にして信州を後にしました。その時の母の心境を思うと、少し胸を締め付けられます。当然の如く、母はろくに学校にも通わず、国民学校を卒業したのか、しなかったのか。だから、母は手紙を書く時に辞書を引いていたり、子どもに聞いていたりしていました。原野を開墾するために祖父母の手伝いとして牛馬の如く働いたそうです。北海道の歴史はアイヌ民族から始まりますが、彼らは文字を持たなかったので詳細は不明です。狩猟と漁労や野草を摘んで生活をしていたようです。武士の授産のために始まった明治の開拓で大原生林は伐採され、現在の北海道が形成されました。資源や食料の基地として地歩を固めました。この本を読んで、消費都市としての札幌は全く関心を持ちませんでしたが、森林限界を超えた北海道の山岳風景を想像しました。沃野を見たいと思いました。空気の軽さや最果て感を感じてみたいです。

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2013年5月 1日 (水)

戸隠行

20130428142006 子どもが成長して、反抗期に真っ最中で、ほとんど親離れ(子離れ)し、これで最後の家族旅行になるかも知れない。日帰りの、大した旅行でもないが、戸隠奥社に参りました。峨々とした連峰を仰ぎ見ながら、何とか雪道を踏みしめて登りきりました。ゴールデンウィークのために、善男善女が列をなして多少興ざめの感がありましたが、杉木立を眺め、野鳥の鳴き声を耳にしながら行程を楽しめました。途次、「ダッコ、ダッコ」と泣き叫ぶ幼児を、若夫婦が窘めながら懸命に息子を励ます様子に破顔しました。こういう時期もあったなあ、という親の感慨です。岩戸伝説など信用しないけれど、人々の祈りは永世不滅だろう。修験道がそれと融合して戸隠信仰は有名になったのである。昔の農家の家々には、蚕神や秋葉神などに混じって、決まってその御札が神棚に祭られていました。唯一神ではなかったのである。キリスト教が普及しない理由の一つに、多神論の一つに参列しないことがあります。人々は自然崇拝が身近にあり、他方、キリスト教はその自然拒否と他宗批判がそれを疎外しています。唯一神論のためである。折角のキリスト教の長所が弱点に転化しているのです。例えば、旧約を新約と同列に重んじる傾向は疑問に思います。必ず日本的なキリスト教がある筈です。それは内村鑑三や賀川豊彦などによって試みられましたが、全く途絶しているといって過言ではありません。第二、第三の内村や賀川が輩出していないのです。しかし、果核は残っています(但し、両人には批判の余地もある)。三里塚闘争の委員長は戸村一作という敬虔なクリスチャンでした。また、反原発闘争を闘っているクリスチャンは多くいらっしゃいます。しかし、自分の信仰を高めることに執心しても、真の福音を人々に伝道することにクリスチャンは熱心ではありません。自己信仰に社会性を持たせない限り、永遠にキリスト教信徒は1%でしょう。プロテスタント系のキリスト教会の猛省を促したい。帰途、「そばの実」に立ち寄り、妻子は多少満足したようでした。歯ごたえがあって甘みを感じた蕎麦でした。それよりも、天麩羅が美味しかったです。

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