大正期の子ども
写真からどれだけのことを読み取れるかの訓練を毎日している。第2章の大正時代から昭和初期(1913年~1930年)の、大正デモクラシーから昭和恐慌までを読み進めた。子どもの姿は、和装に長めの白いエプロンを上に着用し、下駄履きが一般的な服装である。昭和になると、次第にワンピースや学生服も普及してくる。大人は殆ど和装であるが、昭和に入るとモダンな洋装が増えてくる。和服の知識はないので(半纏と浴衣ぐらいしか着たことがないから)、その文様や生地について不明のままである。高々、普段着と晴着の違いぐらいしか分からない(母の箪笥を探れば多少は分かるかも知れない)。昭和初期の男子の様相は、昭和30年代のそれと同じである。大正期の信州は、教育の普及に伴って、信州教育の全盛期である。画一的な教育を排して信州白樺運動が広がり出したのである。童謡・唱歌や詩作や綴り方運動、さらに自由画運動の試みが次々と唱道されたのである。教育県長野の誉れはこの時代の信州教育によって成立するのだが、川井訓導事件(1924年)から始まって二・四教員赤化事件(1933年)で終息する(ちなみに、アララギを再興した歌人・島木赤彦も、明治から大正期の信州教育に貢献している)。この時代の信州は、蚕糸王国でも教育王国でもあったのである。それは、換言すれば、生活の起伏と貧窮が身近にあったにも拘らず、理想を追求する時代でもあったのである。子供たちの顔には、暗澹としたものはなく、一様に明るい表情をしている。
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