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2013年2月

2013年2月22日 (金)

技能集約型農業?

32809939  家族サービスで、元旦に上田アリオに出向いて、その中の「くまざわ書店」に立ち寄った時、財務大臣の嫁はんに、一冊なら買ってもいいよ、という仰せがあったので店頭で手にした本がこれ。書店おすすめ本だったが、実際には、その時の関心は歴史にあったので網野本の方を購入しましたが。
 要約すれば、①日本の農業は「ハリボテ」農業になってしまっている、②日本農業の本来の強みは技能集約型農業である、③ところが、農地利用の乱れ、消費者の味覚の劣化、放射能汚染問題の三つが耕作技能の消失という危機の原因となっている、④更に、マスコミや「識者」がその傾向を助長している、ということである(終章参照)。内容は、多くの農業関係者には鮮烈な印象を与えるようだが、実際の農業従事者にとってはごく当り前な内容と言えるだろう。見回せば高齢者ばかりの農業になっており、識者は言いたい放題、財界は言い勝手、アメリカからはTPPの圧力、政府もJAも頼りにならず、国会議員はほとんどゴロツキ右翼、TVを見れば食を弄ぶお笑い芸人、おまけに精魂込めて育てた農産物が高くも売れないとなれば、農業なんてやってられないのである。ましてや、農業の耕作技能など、子々孫々継承される訳がない。なんとか勤めに出て兼業農家として生き続けるしかないのである。攻めの農業と称して輸出や植物工場などが試みられているが、はっきり言えば、無駄な抵抗である。食肉や生野菜をありがたがる戦後の消費風潮も荒唐無稽である。大規模農業に日本農業の未来を夢想する識者や農業関係者も、先進国の、より巨大な農業の前に、一瞬にして吹き飛ばされるであろう。神門善久氏がどのような学者であるかを知る由もないが、本書の中で、憂国という不用意な言葉の使用(p17)や末尾の私的情念的な記述は学者としての資質を低めることになるだろう。ただ、技術集約農業と堆肥・土作りの重要性の指摘は、概ね、正当な内容である。

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2013年2月13日 (水)

右傾化の代償

31766439  百年前の生活はどんなものだったのだろうか、という関心から読んだこの本。1900年(明治33年)から1907年(明治40年)頃、即ち、明治30年代の家庭生活を俯瞰するものである。この時期の国家的一大事件は、日露戦争(1904~1905)である。日本帝国主義の確立期でもあり、(寄生)地主制の確立期(小作地率45%)でもある。殖産興業と産業報国が唱道されて産業革命が進展し、綿(畑)から絹(養蚕)へ、行燈からランプへ、明治民法の施行によって家父長制度が浸透していった時代である。三大節を中心とする国家行事と天皇制教育を通じた学校制度の確立によって、人々の生活サイクルができ上がっていったのである。いわゆる近代化の過程である。何のことではない、現代を規定する要素が看取されるではないか。とはいえ、人々の生活は困苦を極め、from hand to mouth の生活をしていたのである。人口約4400万人の約7割弱は農林従事者であり(p189)、病苦を抱えながらエンゲル係数は60%を越していた(p86、p193など)のである。一方、学校教育の中では、児童の好きな教科がただ聴いているだけの「修身」(道徳)で、嫌いな教科が「唱歌」(音楽)であった(p239~243)のには失笑したことである。自分自身を省みても、道徳授業の「レ・ミゼラブル(ああ無情)」によって読書欲が駆り立てられて、その後の人格形成の萌芽となったのである。いずれにせよ、この時代以降、人々をなぎ倒しながら日本人は敗戦を迎えたのである。この代償を不問にして、現在、右傾化が進捗していると断定しても過言ではない。

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2013年2月 8日 (金)

暴力と阿世

32786899  「ピーピー」という、か細い鳴き声で冬空を見上げました。よく分からないので仕方なく梅の木辺りを観察すると、やはりいました、かわいいメジロ。開花を待っているようです。ホオジロはイチジクの枝に留まっていました。冠羽のミヤマホオジロかヒレンジャクの一羽が上空の枝にいるのだが、逆光だから視認できない。バードウォッチングは発見があって楽しい。それと比較すると、下界は生き苦しい(笑)。国家・行政権力の暴力、イジメや体罰等の体育会系暴力が蔓延している昨今。こうした傾向は右傾化と同根である。暴力への権利を所有したあの醜悪な面々を想起しよう。賞味期限切れの総裁・首相経験者が三人も内閣に収蔵されているばかりか、右翼の取り巻きがごろごろ格納されている内閣とは如何。況や、反動的首長経験者の多い維新の会をや。

 再学習のために読んでいるこの本。読了はしていないが、率直に言って、著者の文章は日本語として完成に近く、ギリシャ思想を余すことなく無難に概略されている。入門書として適切である。大体、東大系のギリシア哲学研究者は、岩波のアリストテレス全集に見られるように、日本語がまるでなっていない。ということは、ギリシア語原典を十全に理解していないだけでなく、生半可な曲学阿世の徒がいるということである。誰々とは名指しはしないけれど・・・(笑)。

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