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2013年1月13日 (日)

昭和前期の家族像

32607839  「(経済)格差・病・戦争と闘った人びと」とこの本の副題にあるが、本当に闘ったのかどうかという疑念が拭えない。著者は、この時代が「マダラ模様のゴッタ煮の時代だった」(pⅱ)と規定しているが、都市富裕・中間層と農村・都市貧民層の経済的格差があり、それらの暮らしの多様性をマダラ模様としているのか。また、ゴッタ煮とはどういう意味なのか、釈然としない。家族の視点から戦前の社会を考察するものだが、やはり、それを戦争や貧困と切り離してみてもどうなるというものではない。著者は、「戦争や景気の変動が、そのまま多くの家族の動きにつながるものではないことも分かってきた。家族はそれぞれの問題を持って動いていたのである」(同)と言うが、その根拠が不明瞭である。少年時代が丁度その時期であった故に、「結構明るいのどかなもの」(同)と見えたのかもしれない。その時の実感が現在の歴史観であるというならば、それは歴史修正主義といわなくてはならないだろう。事実、蘆溝橋事件を発端とする日中戦争の開始以降を第二期として区分し、時代状況や世相が一変したことを著者は認めている。また、生活物資に困窮し出したのは太平洋戦争に突入した1941年以降であると渋々承諾してもいる(p12)。人口の約75%が被支配階級であり(p13)、人々は貧困の中で喘いでいたのであり、それを戦争で突破しようというのが戦前の流れであることは間違いない。家族はそれだけでそれぞれの問題を持って動いていた訳ではない。教育勅語奉読などの行事の「教育的効果がまるでなかった」(p128)訳でもない。著者はまた、「圧倒的多数の日本人は、政府の指導によく従い、軍隊の勝利を信じ、物資の欠乏にもよく耐える忠良な臣民であった。政府のプロパガンダに黙々とついていった。また、それしか生きる道がない時代だった」(p119)といい、「人は家族の中で情緒的にもたれ合い、経済的に扶け合って生きるほか方法がない時代であった」(p371)というが、それで民衆の戦争責任が免責される訳でもない。そういうわけで、この本の末尾が家族主義ともいえるようなノスタルジックな結論(家族こそ人間関係の基礎)となっているのは、その史料調査の渉猟が多岐にわたっているために、なにか腑に落ちないものになっているのではないかと残念に思う次第である。

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