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2013年1月20日 (日)

近代日本の家族像

大正期の家族像
 大正時代を理解するのは大変難しい時代である。殊に、大正デモクラシーをどう位置づけるのかは、この時代を捉える上で緊要な課題と思われる。一般的には、大正デモクラシーは大正時代の民主主義的諸風潮と定義されるが、それは日清・日露戦争による帝国主義確立期に伴う明治期の富国強兵政策の延長線にもあるのである。そしてそれは、普選運動の成果と引き換えに、治安維持法によって弾圧されて急速に終焉し、右翼・軍部勢力が台頭するのである。「大正デモクラシーの時代は改造の時代であった」と大門正克は分析しているが(『明治・大正の農村』、岩波ブックレット)、民主主義化と軍国主義化のせめぎあいの時代と考えるのが正鵠得ているのではないか。大正時代は、デモクラシーの時代でもあり、「抑圧・圧制の時代」(『大正期の家族問題』、p246)でもあったのである。その時代は、「明治末期からの経済不況、大戦終了後の戦後恐慌、関東大震災による震災恐慌、その後昭和へと続く金融恐慌と休む間もないほどであった。激しい労働争議、小作争議、婦人運動はすべてこの間に起こっている」(p248)時代であった。そして、「全体の三分の二以上の家族は、何よりも経済的な貧しさを家族問題の基礎に抱えていた」(p13)時代であった。小作農民・小農は7割近くにも増大し(地主制の強化)、農村の秩序崩壊が開始し(p68~69)、「下層階級が実数でも割合でも増加する一方だった」(p13)時代なのである。人口約5600万人の7割前後の約4000万人が貧困に喘ぎ、農村では約3000万人が困窮していたのである。湯沢は、「頭の上の方では確かにデモクラシーの風が流れていた。しかし足元では見えない拘束の鎖に太くつながれていて、身動きがとれないという人びとの方が多かった」(p248)と述べている。また、家族問題として、従来の家父長制家族制度にだけに捉われた見解の狭さを批判して、大正期女性の「決断力の無さや自主性の乏しさ」を原因として挙げているが、それは無理というものであろう。それでも、大正時代は、民衆の闘いが萌芽して幾つもの激しい闘いが模索された時代である(米騒動や水平社結成など)。著者は、大正期は明治や昭和期と比較すると「そう悪くはない時代」(p250)と総括しているが、民衆の闘いの見地からすれば、今でも教訓に満ちた時代だったと言えるだろう。
昭和前期の家族像
 「(経済)格差・病・戦争と闘った人びと」とこの本の副題にあるが、本当に闘ったのかどうかという疑念が拭えない。著者は、この時代が「マダラ模様のゴッタ煮の時代だった」(pⅱ)と規定しているが、都市富裕・中間層と農村・都市貧民層の経済的格差があり、それらの暮らしの多様性をマダラ模様としているのか。また、ゴッタ煮とはどういう意味なのか、釈然としない。家族の視点から戦前の社会を考察するものだが、やはり、それを戦争や貧困と切り離してみてもどうなるというものではない。著者は、「戦争や景気の変動が、そのまま多くの家族の動きにつながるものではないことも分かってきた。家族はそれぞれの問題を持って動いていたのである」(同)と言うが、その根拠が不明瞭である。少年時代が丁度その時期であった故に、「結構明るいのどかなもの」(同)と見えたのかもしれない。その時の実感が現在の歴史観であるというならば、それは歴史修正主義といわなくてはならないだろう。事実、蘆溝橋事件を発端とする日中戦争の開始以降を第二期として区分し、時代状況や世相が一変したことを著者は認めている。また、生活物資に困窮し出したのは太平洋戦争に突入した1941年以降であると渋々承諾してもいる(p12)。人口の約75%が被支配階級であり(p13)、人々は貧困の中で喘いでいたのであり、それを戦争で突破しようというのが戦前の流れであることは間違いない。家族はそれだけでそれぞれの問題を持って動いていた訳ではない。教育勅語奉読などの行事の「教育的効果がまるでなかった」(p128)訳でもない。著者はまた、「圧倒的多数の日本人は、政府の指導によく従い、軍隊の勝利を信じ、物資の欠乏にもよく耐える忠良な臣民であった。政府のプロパガンダに黙々とついていった。また、それしか生きる道がない時代だった」(p119)といい、「人は家族の中で情緒的にもたれ合い、経済的に扶け合って生きるほか方法がない時代であった」(p371)というが、それで民衆の戦争責任が免責される訳でもない。そういうわけで、この本の末尾が家族主義ともいえるようなノスタルジックな結論(家族こそ人間関係の基礎)となっているのは、その史料調査の渉猟が多岐にわたっているために、なにか腑に落ちないものになっているのではないかと残念に思う次第である。
昭和後期の家族像
 「日本の庶民は新聞やテレビの情報を信じすぎて、自分の周辺の見聞を信用せず、疑わしくても自分で調べてみることをしない。マス・メディアをよく見る大都市のインテリ男性ほどそうである。一般の認識が誤っていることの原因は、マスコミ報道の責任であろう。一方、市民の方にも責任がある。他人志向性が強くて、活字やテレビ報道の権威に弱い。報道を頭から信じるのは、自分なりの見聞や家族観や生き方への確信がないからである。小学校からの批判を許さない教育方法の結果であり、地域社会に根ざした自分なりの原則を立てようとしないあいまいな態度が、無批判の幻想を作っているといえるのである」(『昭和後期の家族問題』、湯沢雍彦、ミネルヴァ書房、p344)ということは、今次の衆院選挙の結果に現象している。経済的保守化はイデオロギー的保守化に相乗効果を見せたのである。上記の書物を読了して、家族とは何かと再考することになった。戦前の家族問題を暗くする元凶の二つは、家族生活の貧しさと個人をしばる家制度であった(p355)。戦前の家族の四分の三は絶対的に貧しい家族であったが、昭和後期には、「一億総中流時代」に変遷した。著者の時代区分は、敗戦後の貧窮混乱期(~1950年)、戦後復興期(~1965年)、経済成長期(~1988年)の三区分になっている。異論はないが、いずれも戦争が絡んでいる。このことはここでは論じない。著者の提言は、昭和の末期に逢着した理想的家族像にある人間関係の浅薄さを克服して、心の拠り所として、生活の糧としての家族こそを一番大切なものとの思いを増し、その実現をはかるよう努めることである(p349~p350)。しかしながら、1986年来のバブル経済は1990年に崩壊し、日本経済は「失われた20年」となって不況の混迷下にある。平成の家族像は貧窮を極め始めている。マルクスの言説に反して、家族はなくならない。とは言え、利潤追求のために金融資本は常に家族の解体を主導する、ということは間違いないだろう。

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