日本人の国民性
なるべく懐古趣味に興じないようにしているが、家族史の関連で、写真集を時々眺めて想像を逞しくしている。時の流れの中で、かつての風景は喪失してゆく。書き留めておかなければ想像力の縁(よすが)にもならないためである。日本人は歴史認識が希薄である。史料を後世に伝えることが下手くそである。さらに、歴史に対する責任感もほとんどない。
先日、たまたまテレビ朝日・モーニング・バードの「そもそも総研」を視聴していたら、小出裕章さんがインタビュー登場していた。以下、発言詳細。「(選挙結果について)皆さんには大変申し訳ありませんが、私は元々政治には絶望して来たし、政治に一切の期待をしないと言い続けてきた人間です。今回の選挙に私が何がしかの期待をしなかったかと問われれば、確かにしました。しかし結果を見れば、ああやはりこうだったんだということで、不思議ではありません。一人一人の国民の方から言えば、とにかく自分の生活をどうするのか、目先の経済をどうするのかということが一番の関心事になってしまっていて、原子力というものをこれからどうするかというようなことを考えるなら、かなり長いスパンで本当は考えなければいけない。目先にちょっと電気代が安いとか、そんなこととは全然違うことなのですが、そういうことまで多くの国民が気が付かないまま、自分のごくごく身近なこと、短いタイムスパンのことしか興味が湧かないというところに問題があるんだと思います。(日本人とは?)それは大変難しいご質問ですけれども、私はよく原子力のことを考える時に、戦争とそっくりだなと、戦争の頃とですね、思います。大きな流れができてしまうと、ほとんどの人はその流れに乗っかっていってしまって、おかしいと思っても声を上げることも通常はしないまま、全体の流れに流されてしまうという、そういう国民性が私はあったと思うし、今もあると思います。(脱原発を選択したドイツの国民性との違いは?)多分違うのでしょうね。戦争についての総括とでも言うんでしょうか。何を歴史から学んだかという意味でも、ドイツは徹底的にナチスというものの歴史を自分たちで考え直して、それを清算しようとして戦後生きてきたのだと思いますが、日本はかつての戦争について本当に反省したのか言えば、私から見れば全然していない。戦争が終ってしまって、多くの日本人は自分たちは騙されたと、きっと思ったのだと思いますが、騙されたというのなら何故騙されたのかをきちっと自分に問わなければいけないけれども、それを問わなかったのですね。もっと素敵な米国が来てくれた、もっといい日本になってしまう、ただそう思ってしまうという、そういう国民だった。きちっとやはり歴史というものを捉え直さない限り、この日本はこれまでダメだったように、またダメなままいくのかな、とついつい思ってしまいます」
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