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2012年12月

2012年12月26日 (水)

年末所感

32299861 大澤真幸の所論には何の関心もない。念のために言えば、この人は長野県出身であるが、読む度に倦厭して私的評価が低落する。人文系の学者の過半はニセ学者と思ってよい(科学信仰の理系でも同じである)。文献的批判を経験していない人が多いのである。大半は外国文献を牽強付会すること著しいのである(東大系の学者はまず疑ってかからなければならない。原発事故後にマスメディアに登場した彼らの御用学者ぶりという前例がある)。だから、ますます訳がわからず、おまけに引用が多いことが実績であると勘違いしているのである。子供騙しも甚だしい。

 アベノミクスと命名されて持て囃されているが、後世と中・低所得層につけが回るのは分かりきったことである。仮に自分が彼らの立ち位置にいるとすれば、新自由主義の復権に棹差すアベなど問題にもならない。それ程の日本帝国主義の危機なのである。好きにしたら、と思うだけである。ならば、彼らに巻き込まれたくないこちらとしては、好きにするしかない。それ位のスタンスが必要なのである。人材不足のマスコミがでたらめな情報を垂れ流すのは既に厭というほど経験したことである。ナショナリズムが近代概念であるにも拘らず、原初に向かって志向することは、確かに、不可思議なことと思われているが、人間だけが集団自殺するという事実と、ナショナリズムの存立基盤が空虚であり、「想像」するだけであることを勘案すれば、不思議でもないことである。衆院議員のほとんどを右翼が占有し、右翼政権ができたことをいずれ後悔する日がやって来るだろう。否、きっとやって来ないだろう。

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2012年12月22日 (土)

日本人の国民性

31348359  なるべく懐古趣味に興じないようにしているが、家族史の関連で、写真集を時々眺めて想像を逞しくしている。時の流れの中で、かつての風景は喪失してゆく。書き留めておかなければ想像力の縁(よすが)にもならないためである。日本人は歴史認識が希薄である。史料を後世に伝えることが下手くそである。さらに、歴史に対する責任感もほとんどない。
 先日、たまたまテレビ朝日・モーニング・バードの「そもそも総研」を視聴していたら、小出裕章さんがインタビュー登場していた。以下、発言詳細。「(選挙結果について)皆さんには大変申し訳ありませんが、私は元々政治には絶望して来たし、政治に一切の期待をしないと言い続けてきた人間です。今回の選挙に私が何がしかの期待をしなかったかと問われれば、確かにしました。しかし結果を見れば、ああやはりこうだったんだということで、不思議ではありません。一人一人の国民の方から言えば、とにかく自分の生活をどうするのか、目先の経済をどうするのかということが一番の関心事になってしまっていて、原子力というものをこれからどうするかというようなことを考えるなら、かなり長いスパンで本当は考えなければいけない。目先にちょっと電気代が安いとか、そんなこととは全然違うことなのですが、そういうことまで多くの国民が気が付かないまま、自分のごくごく身近なこと、短いタイムスパンのことしか興味が湧かないというところに問題があるんだと思います。(日本人とは?)それは大変難しいご質問ですけれども、私はよく原子力のことを考える時に、戦争とそっくりだなと、戦争の頃とですね、思います。大きな流れができてしまうと、ほとんどの人はその流れに乗っかっていってしまって、おかしいと思っても声を上げることも通常はしないまま、全体の流れに流されてしまうという、そういう国民性が私はあったと思うし、今もあると思います。(脱原発を選択したドイツの国民性との違いは?)多分違うのでしょうね。戦争についての総括とでも言うんでしょうか。何を歴史から学んだかという意味でも、ドイツは徹底的にナチスというものの歴史を自分たちで考え直して、それを清算しようとして戦後生きてきたのだと思いますが、日本はかつての戦争について本当に反省したのか言えば、私から見れば全然していない。戦争が終ってしまって、多くの日本人は自分たちは騙されたと、きっと思ったのだと思いますが、騙されたというのなら何故騙されたのかをきちっと自分に問わなければいけないけれども、それを問わなかったのですね。もっと素敵な米国が来てくれた、もっといい日本になってしまう、ただそう思ってしまうという、そういう国民だった。きちっとやはり歴史というものを捉え直さない限り、この日本はこれまでダメだったように、またダメなままいくのかな、とついつい思ってしまいます」

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2012年12月19日 (水)

昭和後期の家族像

20121219105725  「日本の庶民は新聞やテレビの情報を信じすぎて、自分の周辺の見聞を信用せず、疑わしくても自分で調べてみることをしない。マス・メディアをよく見る大都市のインテリ男性ほどそうである。一般の認識が誤っていることの原因は、マスコミ報道の責任であろう。一方、市民の方にも責任がある。他人志向性が強くて、活字やテレビ報道の権威に弱い。報道を頭から信じるのは、自分なりの見聞や家族観や生き方への確信がないからである。小学校からの批判を許さない教育方法の結果であり、地域社会に根ざした自分なりの原則を立てようとしないあいまいな態度が、無批判の幻想を作っているといえるのである」(『昭和後期の家族問題』、湯沢雍彦、ミネルヴァ書房、p344)ということは、今次の衆院選挙の結果に現象している。経済的保守化はイデオロギー的保守化に相乗効果を見せたのである。上記の書物を読了して、家族とは何かと再考することになった。戦前の家族問題を暗くする元凶の二つは、家族生活の貧しさと個人をしばる家制度であった(p355)。戦前の家族の四分の三は絶対的に貧しい家族であったが、昭和後期には、「一億総中流時代」に変遷した。著者の時代区分は、敗戦後の貧窮混乱期(~1950年)、戦後復興期(~1965年)、経済成長期(~1988年)の三区分になっている。異論はないが、いずれも戦争が絡んでいる。このことはここでは論じない。著者の提言は、昭和の末期に逢着した理想的家族像にある人間関係の浅薄さを克服して、心の拠り所として、生活の糧としての家族こそを一番大切なものとの思いを増し、その実現をはかるよう努めることである(p349~p350)。しかしながら、1986年来のバブル経済は1990年に崩壊し、日本経済は「失われた20年」となって不況の混迷下にある。平成の家族像は貧窮を極め始めている。マルクスの言説に反して家族はなくならない。とは言え、利潤追求のために金融資本は常に家族の解体を主導する、ということは間違いないだろう。

 前回のハングル訳は、グーグルの機械翻訳を使ってみました。ハングル文字は読むことはできますが、理解はあまりできません。が、ハングルは語順が日本語と同一なので翻訳しやすく、意味が似かよっている単語が多いので理解し易く、ハングル語圏の人々のために試行してみました。

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2012年12月15日 (土)

농촌 실태 연구의 기대

32814372  일본의 가족 제도 (특히, 농가의 가족 상)의 변천에 관심이 있지만,이 책은 3 부작의 완결편이다. 근대화에 따라, 衰滅하고있는 일본 농업의 가족 제도 및 가족 상이 어떤 것이 었는지를 아는 것은 자기를 확인하는 작업이기도하다. 도시 주민을 그린 '매화 짱 선생님'외에도 TV 드라마에는 아무 관심도 없다. 일본인의 성명 (예 : 田中)은 상상 이상으로 농업 · 농촌에 유래하고있는 것이 많다. 일본 농촌의 변천 내용은 의외로 연구가 적다. 학교 제도도 도시 중심이되어 있기도 도시 출신의 학자가 많다. 사람들의 의식도 중앙 집권 인 것이다. 에도 시대에는 인구 3000 만 중 약 80 %가 농민 (와 그 가족)이며 (약 2400 만명), 패전시 (1945 년)은 인구 약 7000 만 중 절반 미만 ( 약 3500 만명)가 농촌에 살고 있었다고 생각된다. 그래서 일본의 가족 제도를 알기 위하여는 농촌의 학문적 연구가 필수적인 것은 당연한 것이지만, 도시의 관점에서의 것이 압도적으로 많은 도움이되지 않는다. 나름대로 자료를 가져 오면 일반화 할 수 있지만, 사적인 관심은 그 실태가 어떠했는지를 통찰하기위한 것이다. 어린 시절의 문화적 관심은 농업 잡지 "가정 빛"에 길러진하지만 일단 확실히 농민 읽어 있던 것 같은 생각이 들지만 (잡지의 최대 실매 매수를 공칭하고있다 ) 지금은 農文協 "현대 농업"가 대신하고있는 것 같다. 그러나, "현대 농업"이 농업 기술에 편중되어 있기 때문에, 농촌 문화를 알기 위하여는 물 부족한 것이되어있다. 역시, 다이쇼 시대부터 고도 경제 성장기까지의 농촌 문화와 농민 상을 알기 위하여는, "집의 빛 '은 일류 사료의 것이며, 연구자 중에는이 잡지의 존재를 모르는 사람 가 많다. 자신도하고 싶은 생각이 있는데, 매우 아니지만 참을. 농가 출신의 현장에도 뛰어난 연구자의 도래를 기다리고있다. 하면 심한 코 감기 때문에 水洟를 홀짝 생각이다 (웃음).

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2012年12月11日 (火)

農村実態研究の期待

32814372  日本の家族制度(特に、農家の家族像)の変遷に関心があるが、この本は三部作の完結編である。近代化に伴って、衰滅しつつある日本農業の家族制度、および家族像がどんなものであったかを知ることは、おのれを確認する作業でもある。都市住民を描いた「梅ちゃん先生」ほか、テレビドラマには何の関心もない。日本人の姓名(例えば、田中)には、想像以上に農業・農村に由来しているものが多い。日本の農村の変遷については、意外なほどに研究が少ない。学校制度も都市中心になっていることもあり、都市出身の学者が多い。人々の意識も中央集権なのである。江戸時代には、人口約3000万の内の約8割が農民(とその家族)であり(約2400万人)、敗戦時(1945年)には、人口約7000万の内、半分弱(約3500万人)が農村に暮らしていたと思われる。だから、日本の家族制度を知るためには、農村の学問的研究が欠かせないことは当り前なことなのだが、都市の視点からのものが圧倒的に多く、参考にならない。それなりに資料を読み込めば概括できるのだが、私的な関心は、その実態がどうであったかを洞察することである。幼少の頃の文化的関心は農業雑誌「家の光」に養われたが、かつては、確かに農民に読まれていたような気がするが(雑誌の最大実売部数を公称している)、今では、農文協の「現代農業」が取って代わっているように思われる。但し、「現代農業」が農業技術に偏重しているので、農村文化を知るためには物足らないものになっている。やはり、大正時代から高度経済成長期までの農村文化や農民像を知るためには、「家の光」は第一級の史料なのであり、研究者の中にはこの雑誌の存在を知らない人が多い。自分でもやりたい思いがあるのだが、とてもじゃないがやりきれない。農家出身の、フィールドワークにも長けた研究者の到来を待ち望んでいる。と、ひどい鼻風邪のため、水っ洟をすすりながら思うのである(笑)。

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2012年12月 8日 (土)

希望はどこから?

20121208084408  本棚は普段、こんな具合になっていますんで。年末なんで少し机上を清掃しました。今日は一日中、日が射さない冬空の曇天模様で、寒くて堪りません。日本では東大を始め、それなりに社会的な地位を確保した「優秀な」人々が支配機構を統治していますが、どうして衰退しているのかを真摯に考慮する人がいないようです。他方、それを批判する人たちも、三百代言と論難を繰り広げているばかりで、護憲勢力も消滅というところでしょうか。欲に駆られ、古い価値観で物事を判断する人が殆どだからでしょう。それが大人(たいじん)というもの、という日本固有のものの考え方だからでしょう。景気を良くしてほしい?雇用を確保してほしい?社会保障を確実にしてほしい?などなど。他方で、原発やTPPは論戦や投票行動の基準対象にもなっていない。60年、70年の安保・大学闘争で摘出された事柄が露呈し、何も解決されずに放置された結果と思いつつある。笹子トンネルの落下事故は、高度経済成長の付けであり、統治機構の結果である。腐敗する都市は無闇矢鱈に24時間揺らぎ輝くが、収奪される地方は漆黒を強める。ほんの半世紀前までの日本人は、(原始から)江戸時代の暮らしと似たような生活をしていたことを知るべきである。そして、精神性は依然として変化していない。西洋文化を導入した後も表面をなぞっているばかりである。世界は日本の滅亡を欲している。故に、右翼勢力の跳梁跋扈となるのである。より進行すれば、右翼テロの横行になる可能性もある。危惧すべき時代状況である。しかしながら、希望もあるということは、最後に確認しておかなければならない。

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2012年12月 3日 (月)

ミレーの絵

Image 『写真が語る昭和農業史』を眺めていると、そこに「農繁期留守する壁にミレーの絵(よしすけ)」という川柳が配置されていた(p109)。1960年代の農家には、どういう訳か、鴨居の上や壁にミレーの絵が飾られていたように記憶する。実際、麦藁家屋であった実家にも「晩鐘」だけでなく、「種まく人」も掲示されていた。これは恐らく、親父の、百姓としての自覚と自負という精神性を示すものであったように思う。農業改良普及員という立場もあったことだろう。親父は、この地域の農学校を卒業し、狭小な農地でありながら、農業経営の進取の立場にあり、食糧増産や農業生産の選択的拡大や機械化を推進して、国の農政に率先して協力していた。動力機械やオートバイを購入し、養鶏や養豚や酪農まで手掛けて複合経営を推進した。しかし、どれも先駆的なことではあったが、いわゆる「猫の目農政」や自由化という国際的圧力の中で離農することとなった。近代化の犠牲者の一人といえるだろう。TPP参加は、韓国農業に見られるように、日本の衰滅になることは予想させる。ことは農業だけでなく、医療や保険などにも及び、戦争の原因にもなったブロック化を形成することにもなる。「権益」、「国難」、「国防軍」などの言葉が平然と人口に膾炙する世の中になっている。明日は衆議院選挙の公示であるが、公示の頃には大勢は決しているというのが選挙のプロなら誰でも知っていることである。右翼政権の登場である。国民がどれだけの覚悟を抱いて投票行動するかだけが関心事である。

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