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2012年11月

2012年11月28日 (水)

駝鳥にならないために

20121125121839  寒さも募り、鬱々とした日々が続く。政党の離合集散も続き、没落の日本である。しかしながら、それらは歓迎すべき事柄である。Joseph E Stiglitzの新著、『世界の99%を貧困にする経済(The Price of Inequality)』は、『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』に次いで、ある意味で衝撃的である。これらの視点から政治動向を凝視してみれば、右翼的政党の乱立の本質を見通すことができるだろう。リベラルな経済学者からしてそうなのだから、あとは推して知るべし、となる。マネタリズムを主唱したフリードマン派が、世界各国の財政を破綻させ(1982~86年には日銀顧問を担当)、人々を塗炭の苦しみに追いやったことを縷々として理解できる内容である。本題は「不公平の代償」である通り、有産階級が政治的権力を駆使して法的ルールを構築し、総括的な略奪をしているのである。こうした不公平と機会均等の剥奪とが続くならば、それは最も基本にある社会契約そのものを破壊することになり、その行き着く先は民衆の実力行使となるであろう(p196)。とあれば、総選挙の投票先が見えてくるのであるが、しかし、そうはならないのが日本の政治状況である。民衆の意識、民主主義の未熟、マスコミの煽動などの理由のために、ますます不幸を呼び寄せているというのが現状である。ニュースキャスターの古館や大越の酷さは秀逸である。財政論による恫喝が保守派の最後の砦であるが、そんなものはずばり「累進課税」と答えればいいだけの話である(子どもからも収奪する消費税など無用なのである)。「目には目、歯には歯」である。
 ところで、スティグリッツの、「政治家は思想を売り込む商人である」(p243)、「軍国主義の核心は経済である」(p73)という言葉は、蓋し、至言である。いつまでも砂に頭を突っ込んでいたり、羽をむしられる駝鳥のままではいけないのである。

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2012年11月17日 (土)

空しさの行方

201211161517291 稲藁を切る作業をする。土に戻すためである。うちの田んぼは、他の田んぼと異なって雑草が茂っているだけでなく、努めて循環を目指している。きれいではないが、土地から強奪せず植生に添った農業を志向しているからである。有機農業にも批判的である。可能な限り、無農薬と無肥料を心掛けているが、別に現代農業を否定している訳でもない。自分は本来の収穫物を食したいだけである。だから、採算無視である。健康食品やサプリメントがテレビ通販で大流行であるが、ほとんどまがい物である。むしろ、人間の健康を破壊するものと言って間違いない。

32744436  「糖質とタンパク質の同所性」は食物連鎖のなかで食材を生産しようとするシステム(=食を通じた自然との共生)であり(p72)、その地域にあった糖質とタンパク質のセットは、グローバル化によって根本から破壊されようとしている(p221)、というのがこの本から読み取れた私的な結論である。殊更、主旨を探るのがこの本の狙いではないようであるため、ユーラシア大陸の農業研究をそのまま紹介している。日本人がパン食、肉食を始めてそれ程長くはないが、これは「地産地消」に反している。身近で麦の栽培はなく、牛や豚や鶏を育成している現場を目にしている訳でもないにもかかわらず、それが口に入ることに何の疑問を感じることがないことが不思議である。永田町や霞ヶ関に巣くう輩が国民生活を破壊しているのと同じである。加えて、三重の憲法違反の解散総選挙ということである。国民も「景気を良くしてほしい」、「消費増税をやめてほしい」などと要求している始末である。いつまでも、かつての願望を抱き、反省もせずに現状を肯定しているだけなのである。なるほどな、どっちもどっちだなと思うだけである。

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2012年11月12日 (月)

歴史を紐解く

20121018131700  政治的右傾化、公共料金値上げや消費増税、追い詰められた民衆社会、金融資産の偏在、無意味な文化の席巻と腐敗、非論理的な議論、等々を見聞するにつけ、事態は極まったというべきか。とは言え、自分のなすべきことは、別途、敢行しなければならない。悠久の歴史を紐解いてみれば、こんなことは当り前なことであり、何も憂慮するべきことではないのであろう。これまでに学んだ一切が蒙昧に基づかれたものとして意味を消失することにもなるだろう。マスコミに登場する者たちが、どんな詭弁を弄しようとも、いささかも憂慮することもない。むしろ、よくぞここまで腐植したのだと歓迎するべきなのかも知れない。とすれば、淡々と日々を過ごして未来の種を残すことが義務である。戦前の反戦主義者は、こういう心境だったのであろう。しかし、彼らは未だに歴史的評価を得ていない。戦後民主主義とは欺瞞であったのである。唯物論的にコテンパンに敗北した右翼・反動勢力が息を吹き返しているのは笑止千万であり、時代閉塞の証左でもある。しかし一方、同時に、戦後的左翼が何の力量も持ち合わせてもおらず、覚悟もなく無意味な論議を積み上げているのも事実である。戦後の相対的安定期のはざ間を縫って(他国の戦争と動乱のお陰で)、高度経済成長を遂げて生活の豊かさを享受した日本人総体ではあるが、それが欺瞞として表象されているのである。虚言癖の首相と政治屋どもの醜悪さは目を覆うものである。学者文化人の腐敗もまた顕著である。しっかりと自分の仕事をしなければ、と反省し決意するこの頃である。そのために、歴史を紐解く日々である。いつまでも酔ってばかりいられないのである(笑)。

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