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2012年10月

2012年10月29日 (月)

『介護と裁判』

32700819   サブタイトルに「よりよい施設ケアのために」とあるが、裁判や取材だけで施設介護の実態を把握するには、行政・司法や当該施設が壁となって立ちはだかる。集計される虐待や事故・ヒヤリハッとは、「介護のあるところ虐待(事故・ヒヤリハッと)はつきものと肝に銘じておくこと」(p126)とあるように、氷山の一角に過ぎない。儲かりもしない介護業界に民間と大資本は次々と参入しているが、介護ケアの質の低下は間違いない。介護ヘルパーの需要は引く手あまたであり、急造されている。介護保険制度が施行されて十二年になるが、情報公開がなされないのは、介護員の責任だけでなく、否、むしろ措置の時代を引き摺っている施設経営者側に責任があるのである。ひどい裁判になると、介護ヘルパーに賠償責任を負わせているが、こうなると介護などやってられなくなり、絶望して退職・転職することになる。経営側と指導的運営者は、利用者ではなく、施設を守るために、コンプライアンスやエビデンスやリテラシーやケアマネジメントやスーパービジョンなど横文字のオンパレードになって、資格保有にも躍起になって組織を複雑・大規模化させて(病)巣を造る。この本の著者は、新聞記者出身のジャーナリストであり、司法裁判と取材による介護業界の問題を追及しているのであるが、問題提起にはなるが、介護業界を改革していくには限界がある。既に触れているが、官僚制の弊害、もしくは官僚制の逆機能である。特に長野県では、日本的官僚制の特徴である「官民尊卑」と「封建的主従関係」が著しく残存している。著者の、施設と家族との譲り合いと合意で介護文化を作っていくという提起(p180)や「人間主義(ヒューマニズム)へのシフト」(p189)という結論のようなものには疑問を感じている。この問題は、介護業界にとどまらない根本的な仕組みの問題である。介護施設の実態は、これまでにも触れたことがあるし、これからも追々と公開しようと思っている。

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2012年10月19日 (金)

反戦平和の誓い

20121018124024 マリノアシティ福岡の観覧車下デッキからの眺めです。九州最大級のアウトレットモールということですが、中・韓の観光客が少ないことと、平日ということもあって、閑散としています。玄界灘からの風が強く、波は荒くて肌寒いです。しかしながら、山国出身ですから、やはり海を眺望すると何かしら恐怖感も手伝って感動します。自然は動いていることを実感します。

 この本を完読してもいま一つ理解できなかった。内なる天皇制、それを根源とした劣等意識、人種主義と社会主義による「意図せざる合体」(p146)、サバルタン(=従属的被植民主体(p44))などは学習的にも体感的にも何となく理解できる(高校無償化問題という民族差別が現在進行形であるということ)が、ポストモダン的アイデンティティのあり方を探ろうとする著者の努力(p225)が具体的に何なのか、抽象的で少しも理解できない。そこで、已む無く、こちらのブックレットに変更している。

 いま一人、60年安保世代の全学連闘士が、ガンに侵されて他界した。義父のことである。義父は日本帝国主義の植民地からの引き揚げ組である。いわゆる戦中派というべきか。赤貧洗うが如き生活を強いられ、敗戦と同時に親の故郷に戻ったのであるが、手を裏返したかのような戦後教育に疑念を覚え、我こそは真の教師たらんとする志を抱き、苦学して教育学部に入学したのである。それは同時に、学生運動との出会いでもあった。委員長の立場で理論派として活躍し、小学校教師になった後も、日教組の活動に熱心だったということである。官憲に睨まれて僻地校を転々として、市内の校長に昇格した頃には定年を迎えるという、紆余曲折と苦難を経験をして失敗もした。家族愛にも恵まれず、安穏とした生活を営むことが少なかった生涯である。酒が友であった精神生活も想像させる生涯でもあった。言い訳をしない人でもあったと思う。日本人の反戦平和の誓いは、一体どこに行ってしまったのか。痴れ者が跋扈する時代の中で、ひっそりと息を引き取った義父を想い、ご冥福を祈るばかりである。

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2012年10月 5日 (金)

収穫の秋へ

20121005173322  終日、落穂ひろいとネギのお世話に足腰膝を使い果たし、下半身がだるい。暮れなずむ頃、畦に腰を下ろし、しばしの休憩。脱穀を残し、来年度の米を確保して安堵する。はぜ掛けの長さから想像するに、収穫量は多めというところだろう。食味はどうだろうか、楽しみである。日本の食料の廃棄量は、日本の米の生産量と同じということである。テレビでは外道のグルメ番組が流行っているが、食の素材本来の味を知らないことだろう。芸能人の舌など信用していない。大体、ご飯の炊き方を知らない。電気釜の中で米をホントに研いでいる人がいる。米を研ぐのに電気ガマを使うのも間違っているが、精米技術の進歩で米を研ぐ必要も全くない。しゃしゃしゃとかき混ぜて糠成分を流し捨てたらいいだけなのである。米粒を壊してデンプンを表出してしまっていいのか。おまけに、蒸らし方を知らないからご飯がべちゃっとなってしまう。また、包丁も握ったことがない人の言説など信用ならない。
 近隣のりんご畑では秋映という品種が真っ赤に色づいている。確かに大阪で食したりんごに、りんご本来のシャキシャキ感はなかった。いわゆる「ぼけた」りんごを販売しているのである。そろそろ果樹栽培も射程に入れていい頃かな、と思う。と、ここまで脈絡もなく記して、眠くて眠くてsleepy・・・。

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